ほとんどのお骨を骨壺に移し、もう最後に近いかと思われたころ、斎場スタッフさんが「これが喉仏です」と小さい骨を箸でつまみ上げた。私は、ああやっぱりと思った。母の養母の火葬のときにも「喉仏」の説明があったからだ。
今回は、私の勝手でいちおうキリスト教式のつもり?だったので、喉仏はスルーされるかなと思っていたが、いや、喉仏は最後に大切に収骨された。そして、そのうえに大きくてきれいな頭蓋骨をかぶせて、骨壺のフタが閉められた。
ああ、これですべてが終わった。さっきまでちゃんと「小さなひとのかたち」をしていた父は、カラカラのきれいな骨だけになって骨壺に収まってしまった。老衰で85才と天寿をまっとうしたわけだから、こうしてお骨になってしまうと妙にサッパリした気分だ。
不思議なもので、亡くなってから火葬までの1年4ヵ月の間は、やはり「未完了」の思いがあった。「ホルマリン漬けの肉体」も「お骨」も、父の魂という観点からすれば、どっちも大差はないのだけど、白じらとした美しい骨の状態のほうが、これこそ終着点という思いが湧いてくる。
さて、場の空気は一変した。一挙に非日常から日常に切り替わり、「巨大な骨壺」をどうやって持って帰るのか?という単なる運搬のハナシに転じた。そもそも私の地元では、一部のお骨しか収めないのでものすごく骨壺は小さい。母の養母のときも、残りの骨はガラガラとゾンザイにどこかへ持っていかれる感じだった。だから、ウチの地元では「骨壺は小さいもの」というイメージが強い。
ところが、こちらの地方ではすべての骨を収骨する。ホント、ひとかけらもひとつぶも灰も残さず骨壺に収める。まあ、比べたら「全骨収骨」のほうが納得できる。やっぱり父ちゃんすべてを持って帰りたい。なんだけど、ものすごく大きくて重たい。「骨壺の重量がかなりありますからね」とのこと。
私は山登り用の大きなザックを持参してきたが、それにはまったく入らない。ま、背負子だったらOKなのだが、もう昔に処分してしまっていた。するとSさんが「もしかしてと思って、私、こんなのを持ってきたんですが」と言われて黄色いものを取り出された。それは、スヌーピー柄の大きなエコバッグだった。
「ちょっとかわいすぎてすみません」とSさんは謝るが、いやいや、飛行機で持って帰るにはかえってちょうどいい。それに、Sさんの細やかな気遣いが本当にうれしかった。きっとSさんは、私が世慣れていないのをちゃんと察していて、そういう私がひとりで来るのだから、おそらく適当な入れ物も持っていないだろうとわかっていたのだ。
スタッフさんも外の木箱を白い布でしっかり縛ってくださり、その上に私が持っていた茶色のシャツをかぶせて、それからスヌーピーの黄色いエコバッグに入れたら、もうちっとも骨壺には見えなかった。「ああ、これなら大丈夫!」と三人で深くうなずく。こんなときは、人様の心遣いが身に沁みるねえ。