私はひとりではなかった

思いがけず、数人の方から励ましのことばをいただいた。私は、自分が「引きこもり」であることを他人に話すのは、それほど抵抗がない。というか、正確には「他人との距離をうまく取れないので、けっこう深い内面まで一挙にさらけ出してしまう」のだ。

そんなことをいきなり聞かされた相手のひとは、たいていギョッとしてしまうだろうが、まあ、その相手の気もちまで先読みできないので「事実」をそのまま話してしまう。ふつうオトナになれば、そのあたりの距離感をうまくコントロールできるようになるはずだが、はあ、私はまだコドモなんだよね。

しかし、そんな不用意な私の発言に対して、多くのひとが温かく励ましてくれた。私も、これまでとはちがって、そんな風に言ってくれる思いやりをありがたく受け取ることができた。ああ、本当のことを話しても大丈夫なんだなあ。ココは守られた空間なんだなあとホッとした。

さらにその後、もっと私に関わりを持ってくださる二人の方にお会いした。かなり驚くこともあったけど、結果的に私の気もちは大きく変化した。なぜなら、その方たちがいかに私のことを案じてくださっているか、そのことに深く感動したからである。

本当に突拍子もない降って沸いたようなシチュエーションだったが、「ありのままの自分」を認めてもらえるとは、こういったことか!と衝撃を受けた。アタマがクラクラしたけれど、その方たちの「思いやり」ゆえに、私は「自分の本心」にようやく気づくことができた。

私が自分に堅く禁じていた感情は「寂しさ」だった。社会に居場所がないという「寂しさ」を、私はとても長い間封印していたのだ。実際、私は「寂しい」と感じることが一度もなかった。しかし、心の奥底では寂しくてたまらなかったのだと、今日はじめて強烈に意識した。

しかし、いまはひとりではない。こうして私の将来をいっしょに考えてくれるひとたちがいる。私がこれからどう生きていけばいいかを相談できるひとがいる。そのことのうれしさとありがたさが押し寄せてきて、私は涙がこぼれて仕方がなかった。

いや、これまでにも私に手を差し伸べてくれるひとはいた。でも、私はその手を振り払ってきたんだよね。なぜ、そのひとたちを自分で切ってきたのか? それは……スネていたから。母ちゃんがくれなかった愛情を、いまさらアンタからもらってもうれしくないわ、とスネていたわけ。

けれども、今日はそんな気もちはまったくなかった。私を見守ってくれるひとの愛情をすなおに受け取ることができた。ああ、ほんの少しずつオトナになってきているのかもしれない。

そのいちばん始めのきっかけを与えてくださったのは、やはりカウンセラー先生だ。7月30日の懇親会のとき、先生がかけてくれた言葉のおかげで、私は「無償の愛」がどういうものか、そして、その愛を母がまちがいなく私に注いでくれていたということに気づいた。すべては、ここからはじまった。

そして、その流れに身を任せているうちに、私はいま温かい居場所を与えられている。ここからきっと、私は「本来の自分」に近づいて行けるような気がする。

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