「さびしさ」をすなおに認めたあとには

ひとりでいるのが好きだ。
とくに自然のなかでは、ひとりだけでそのうつくしさに浸っていたい。

稚内の二ツ岩で、引き潮のときにしか行けない浜を歩いたときも、
野付半島の端までたどったときも、
ひとりきりだったからこそ、一点の曇りもなくそのうつくしさをただ味わうことができた。

だれかが近くにいると、どうしても気が散ってしまう。
たいていの観光地ではしかたがないけれど、だれかヒトがいるというだけで、せっかく澄んでいる水がたちまち濁ってしまうような心地がする。

温泉でもひとりきりのほうがいいし、道の駅で車中泊をするときも周囲にクルマがいない場所をたんねんに選ぶ。
だれからも話しかけられたくないし、話したくもない。

でも、本当はさびしいんだと思う。
「と思う」というのは、さびしいという実感がほとんどないからだ。
しかし本当はさびしくて、でも傷つきたくないからヒトを避けているのだと思う。

真性にひとりで生きたいのだったら、ブログなんかしないよね。
自分の話を聞いてもらいたいという欲求があるからブログをしているんだ。
だから、ブログを書いているからには、私はさびしいんだなあ。

で、そのさびしさを自分でちゃんと認めてあげようと思う。
そうなんだ、おまえはさびしいんだね、さびしくて弱音を吐いてヒトに頼りたいと思っているんだね。
べつにそう思っていてもちっともかまわないよ。

自分で自分のことをすべて認めてすっかり許せたら、つぎの段階に移るという。
新しい次元に足を踏み入れる。
そこでは「本来の自分」を生きることになる。

「本来の自分」ってなんだろうとよく考えるが、私の場合はたぶん「感動すること」かもしれない。
山がきれいだなあ、海がきれいだなあ、このマンガすごいなあ、この曲すばらしいなあ、と心動かされることに出会いたい。

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