ヒトに嫌われることを極度に怖れていたけれど

私は、だれかに傷つけられることを怖れていて、その結果ヒトと接することを避けている。
まあじっさいは、そのことをまだきちんと自覚できていなくて、自分では「なんとなくしゃべるのがめんどくさいから話すのをヤメておこう」という感じだ。

でも、心理学のことを勉強しているうちに、だんだんとどうやら「ヒトから傷つけられそうだから、事前に逃げている」らしいとわかってきた。
それで「さびしい」ということも認識できていないけれども、ごくまれに「さびしい?かな?」と思うこともあって、そのことをカウンセラー先生にメールしたら「さびしいということを感じられてよかったですね」と言われたので、そうか、やっぱりさびしいのか、それで合っているんだなと、ちょっと紙一枚はさまったような感じでさびしいと思っている。

けれども、今回の旅のとちゅうでは、おおぜいのヒトがいるところでいっしょに過ごすのもいいかなあと感じることもあった。
とくに外国人観光客のひとたちといっしょだとうれしいなと思うことがよくあった。

野生のエゾシカがいるのを身振り手振りで教えてもらっていっしょにながめたり、羊蹄山が夕日に赤く染まっているのを見たり、場所をゆずりながら写真を撮ったり、ときには「写真を撮りましょうか?」と英語でたぶん言ってもらったり、ほんの短いあいだだけれどもずいぶん温かく接してもらった。

なぜ外国人ならOKなのか?
きっと日本人だと心理的な距離が近すぎて、まだ怖れがあるのだと思う。
その点、外国人観光客ならば「異邦人」であるわけだし、ことばも通じないし、ちょっと離れているから安心して接することができたのかもしれない。

でも、はたして世間のヒトはそんなにも私を傷つけようとしているのだろうか?
どうして私はそれほどまでにヒトから嫌われなくてはならないのだろうか?

「もしかして私はそこまでヒトから嫌われていないのかもしれない」と思いはじめたのは、このブログを読んでくれるひとが少なからずいてくれるからだ。
読者さんがいてくれるということが、なかなかすなおに受け入れられないのだけれども。
いや、本当にすなおに信じられない。そういうことが起こってはいけないと思っている。

しかしながら、じっさいに読者さんがいてくれるのは事実で、だから私は、ああそうか、もしかしたらみんなに嫌われているわけじゃないかもねと思いはじめている。
もちろん、だれかが私のことをどう思うかはそのひとの自由なんだけどね。

でも、これまでみたいにかたくなに怖れて逃げなくてもいいのかなあとぼんやり思っている。

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