燃え尽きた理由 その1 あんたのキャパはどのくらい?

2ヵ月でやめた合唱にしても、5ヵ月でケツを割ったパートにしても、やりはじめた当初はとてもおもしろかったのだ。
つまらないわけでもないし、強制されているのでもないし、みずから好きこのんでむさぼるようにのめり込んでいった。

それになのに、どうしてとちゅうでイヤになってしまうのだろう?

ひとつの理由として「自分のキャパを大きく見積もりすぎている」のだと思う。
理想が高すぎるんだ。そして、オノレの非力さをわかっていない。
自分の限界を超えているのに、そのことを客観的に認識できなくて、気がついたら燃え尽きている。

「努力すればなんでもできる」わけではなく、「自分ならばココまでできる」と冷静に判断できるのが自分軸のひとだ。
そうそう、私の場合は結局理想に振り回されているから「理想軸」で生きていたんだねえ。
で、がんばれば理想を実現できるとカン違いしていた。

先だっての放浪で毎日クルマの運転していて、心の底から得心したことがある。
それは、私はせいぜい50km/hまでしかスピードを出せないということだ。
それ以上早く走ると、脳ミソで情報を処理しきれなくてパニックになってしまう。

以前は、もっと運転に慣れてきたらひとなみのスピードを出せるかもしれないと期待していたが、いや、いまは微塵も考えていない。
私は50km/hの人間なんだとやっと納得した。
べつにそれでかまわないのだ。
そりゃ、まわりのクルマは迷惑だろうが、自分がムリしてアセッてスピードを出して事故を起こすほうがあきらかにまちがいだ。

そういうことがよくわかってきたので、いまではマイペースで落ち着いて運転している。
うしろのクルマが気になったらときどき道をゆずっているけれど、それも気が向いたときだけだ。
左に寄って停車するかどうかを決めるのは私なんだなあと、ようやく自分軸運転ができるようになってきた。

それでつまり、私は「50km/h人間」だから、ほかのことでもそのぐらい割り引いて自分のキャパを見積もらんとあかんのやなと思っている。

それなのに、これまでの私は自分に対して「オラ、100km/h出さんかい! ワレ!」とシバきたおしとったわ。
パートでも合唱でも、みんなが100km/h出せるから、おまえも出せて当たり前だと思っていた。
そら、ムリやわ。ツブれるに決まってるわ。

というわけで、すべてのことに対して「自分がムリなくできるペース」をまず考えないとあかんなあと深く反省している。
あともうひとつ、燃え尽きの理由があるけれどそれは明日に書く予定。

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