燃え尽きた理由 その2 ヒトに認めてもらいたかったから

思い返せば、ずっとむかしから挫折ばかりしている。
今年にはいってパートから逃げ出し、趣味ではじめた合唱もやめることにしたが、それはべつに今年にかぎらず、はるかむかしから同じパターンを繰り返している。

そう、心理学でおなじみの「パターン」になっていて、どこかでそれに気づいて自分の内面と向き合わないかぎり、延々と同じパターンを繰り返すことになってしまう。

そもそもどうしてパートや合唱で、最初のうちはそないにがんばったのか?というと、ヒトに「あんたはスゴい!」と言ってもらいたかったからだ。
ホンマ、恥ずかしいけど、みんなから認めてもらいたい、ホメてもらいたい、エラいと言ってもらいたいというのが目的でがんばっていた。

まあ、私の原動力というのはむかしからことごとくソレに尽きるわけで、つまり完全に「他人軸」だったわけだ。
「ヒトに認めてもらうのが目的」だから、際限なく努力しないといけないし、どこかでやめるわけにもいかない。
もともと能力の低い私だから、そうそうに燃え尽きてあっという間に「もうヤメじゃ!」いうてすべてを放り出してしまうんだけど。

じゃあ、なぜそんなにヒトに認めてもらいたいのか?
それは「自分自身が自分のことを認めていない」からだ。自分のことをダメなヤツだと思っている。自分で自分のことを「コイツはたいしたことないヤツだ」と思っている。
だから、ヒトから「そんなことないよ。アナタはすばらしいヒトだよ」と認めてもらいたくなるのだ。
と同時に、ヒトから嫌われることも極端に怖れてしまう。

では、どうして無価値感が強いのか?というと、それはやっぱり母ちゃんが原因なわけだ。
母ちゃんがありのままの私を認めていなかったからだ。
コドモのころ母ちゃんに何度も「あんたはダメだねえ。ほかのひとはデキるのにあんたはデキない。弱いねえ」と言われていたから、「ああ、私はダメなヤツなんだ」と思い込んでしまったのだ。

しかし、コレって「コドモの思い込み」なんだよね。ちっちゃいコがたまたまソレを真実だとカン違いしてしまったとも言える。
なので、いますぐにでもソレを書き換えることができるんだ。
まちがってインストールされたプログラムをアンインストールすればいいだけなんだ。

そしていまの私は、カウンセラー先生のおかげでようやく「母の本当の気もち」がわかるようになりつつある。
まあ、コドモが親の見かけの態度から「親の愛」に気づくのはむずかしい。私はニブいコドモだったのでよけいにそうだ。

母は私に「あんたはダメだ」とさんざんなげいていたが、そう言いながらも、私にとってムリのない将来設計を立ててくれていた。
ナマケモノで弱い私が苦労しなくて済むように、長いスパンで私の進む道を考えてくれた。
そういう「母の行動」をよく思い返してみると、結局「あんたはダメだからラクに生きられるようにしてあげるね。みんながやることをしないでいいよ。弱くても生きられるようにしてあげるね」という「母の本当の気もち」が見えてきたのだ。

だから、母は心の奥底ではちゃんと「ありのままのあんたでいいよ。ダメなままでかまわないよ」と認めてくれていたわけだ。
それだったらますます「自分はダメなヤツ」という思い込みはまったく不必要なモノなんだよね。

ということで、ひさしぶりに「ほんなら自己肯定感あげなはれ!」という結論なのである。ふう。

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