今日の心理学セミナー「ライフワーク・セミナー」は、当初の告知では午後1時開始と聞いていたので、12:45に会場へ行ったのだが、まだだれも来ていなかった。
あれ?おかしいなと思っていたら、じつは13:30開始に変更になっており、それはFacebookで通知されていたらしい。
私のFacebookアカウントは10月上旬に停止されてしまったので、いまもまだFacebookを見ることができない。停止の理由もわからないし、運転免許証の画像も数十回送信しているが停止解除の見込みはなさそうだ。
う~ん、自分だけ仲間はずれになっているようでモヤモヤしていたが、いやこれは案外意味があってこうなっているのかもしれない。なにか必要があって停止なのだろうと思い返して、気もちを切り替えてセミナーにのぞんだ。
今回のセミナーではまず、ここ1ヵ月間でじっさいに取り組んだこと、変化のあったこと、今後の課題についてひとりずつ発表した。
私の場合、取り組んだことは「金剛山に2回ウォーキングに行ったこと」と「就活をはじめたこと」だ。富士山に登るのが目標のひとつなのに、トレーニングがぜんぜんできていないね。
「変化」はとくにないけれど、でも毎日ライフワークを意識するようになったかな? ブログにもひんぱんに書いている。てか、このブログそのものが「ライフワークをどう生きるか?」に向き合う報告みたいになっとるわね。日報みたいなもんじゃん。
「今後の課題」は大アリで、とにかくもっと具体的に行動せんとあかんやろ。計画も立てんとなあ。
みんなはと言えば、そないにバリバリ邁進しているヒトは多くなくて、ライフワークそのものをあれこれ修正しているヒトも多いし、実現する方法も迷走していたり、かと思えば実施したことをちゃんとファイルにまとめている行動的なヒトもいた。
そのあとは質疑応答となったけれど、これがまたかなりディープな解説で非常に勉強になった。
今日のセミナーは3時間なのだが、そのために私は飛行機で移動し前後2泊するけれども、いやそうするだけの価値があったね。
キモとなったのは「本来の自分」と「ペルソナ」の話だ。
心理学をちょっとでもかじったヒトなら、ああ例のアレねと常識になっている知識にすぎないけれど、その知識が単なる「知識」ではなく、自分の心の奥底まで届いてハラの底から納得できてすごく驚いた。
「ペルソナ(仮面)」とは「ある役割りを演じている顔」のことで、仕事をしているときに見せている自分、家族といるときに見せている自分、友だちといるときに見せている自分など、場面に応じて使い分けている顔のことだ。
そしてペルソナは「本来の自分」ではない。本来の自分をさらしていると都合が悪いので、じゃあ仮面をかぶって〇〇のフリをしておこうとなる。
子どもがまっさきにかぶりたくなる仮面が「いい子の仮面」や「がんばる子の仮面」だ。本来の自分が悪い子やがんばりたくない子でも、親に認めてもらいたくていい子を演じてしまう。
仮面もいろいろで「いい子仮面」がある日しんどくなって「反逆児仮面」に付け替えたり「無気力仮面」を選ぶこともある。
でも、しょせんペルソナは「本来の自分」ではなくて仮の姿なので、いずれどこかで破綻する。ペルソナでがんばりつづけて処世術に長けたり演技力を身につけても、あまりにも本来の自分から乖離していたら、いずれ崩壊してしまうのだ。
カウンセラー先生「それでけっこう恐ろしいのは、ペルソナの状態でも『楽しい』と思えてしまうことです。そうなると『本来の自分』がどう感じているのかわからない。だから自分のライフワークがなにか?もわからなくなるし、やりたいこともわからなくなるんです」
うわあ、ココがいちばんキビしかったなあ。以前の私がそのとおりだったからね。
私はむかし「仕事がとても楽しかった」からだ。自分がホントウにそう感じていると思い込んでいた。
しかしそれは大まちがいで、私のホンネは「仕事が大キライ」だった。そう気がついたのはごく最近のことだ。
結局私は「仕事が楽しいヒト」を演じつづけていたに過ぎなかった。なぜそんな演技をしていたのかというと「周りのヒトに認めてもらいたい。両親に認めてもらいたい」という欲望があったからだ。
さて、お約束どおり「仕事楽しい仮面」は十数年まえに破綻をきたし、それ以降私は「引きこもり仮面」を着用することにした。
けれどもその引きこもりもやっぱりペルソナだったからほころびてきたのだ。
引きこもりも私の本質じゃなかったんだ。だから、数年まえからカウンセラー先生のところへ行ってジタバタもがきつづけている。
そんならいったい「本来の自分」ってなんやねん?! 私のホントウの姿はなに?
すると、その「本来の自分」の姿が、つづいての先生の説明を聞いているうちにとうとう明らかになってきた。