目の前で「直伝」してもらって、はじめて「飛ぶ」ことができる

たぶん、カウンセラーの先生がたは、「あなたは、何をするために生まれて来たのでしょう?」といつも問うているんだと思う。

「あなたのライフワークは何?」
「あなたの生きがいは何?」
「ワクワクすることは何?」
「本来の自分がやりたいことは何?」
「あなたの魂が望んでいることは何?」

まあでも、それが自分でわかっているヒトは、セミナーなんかにけえへんわ。
だいたいソレがわからなくて、「本来の自分」から遠く離れてしまい、いったいどうしたらいいのか、途方に暮れたヒトたちがカウンセラーに辿りつくんだ。

で、セミナーじゃ、ワークショップじゃ、個人カウンセリングじゃとあーだこーだもがき続けているうちに、あるときポッカリ浮上する。
そのときに「降って来るモノ」が「ライフワーク」なんだよね。

私の場合、それが「音楽」のようだね。
ちょっとあいまいなのは、すでにほかのライフワークがあるからだ。

もう見つかっとったわっちゅうライフワークは、「山」と「放浪」だ。
山は、ずっとまえから大好きでずいぶんぎょうさん登っておるし、放浪も去年「北海道80日間車中泊放浪」を実施済み。

なので、つい4ヵ月ほどまえまでは「ああもう、ワシの人生は山と放浪だけで十分、これこそライフワークじゃわい」と結論が出ていた。

それなのに、今年に入ってからなぜか突如としてマグマが噴出してきたんだよね。
しかし、そのマグマの正体が「音楽」ってのは、まあ「やっぱり」と思わなくもない。

というのも、いまから4年前52才のとき、カウンセラーのN先生にはじめて個人カウンセリングを受けたとき、先生に「ピアノを再開するか、それとも引きこもりに専念するか、どうしたらいいですか?」ということも相談していたのだ。

まあ、そのころはまだバリバリに母ちゃんと癒着していたので、「まずは癒着を解消」がいちばん重要な課題だった。
だから、ピアノをどうするか?というテーマは立ち消えになっていた。

ちなみに、そのとき私がN先生に「先生が私をご覧になって、私はどっちの人生が向いているように見えますか?」なんてことを質問しちまった。
そしたら、N先生はかなりトーンを変えて「いやあ、それは言えないんです」と答えられたので、私はちょっとびっくりしたよ。

ま、当時は私も心理学を深く知らなかったので、アホ丸出しの質問をしてもうたけど、「自分がどうするか?」ってのは「自分で考えて、自分で決めて、自分で実行する」のが当たり前だ。

だから、いま現在、もしふたたびN先生のカウンセリングを受けたとして、私が「どうしたらいいですか?」ってたずねたら、N先生は「春子さんはどうしたいの?」と訊かれるに決まっている。とくに、N先生はそういう「返し」がお約束なのだ。

ところが、だ。
同じカウンセラーでもO先生はちがう。O先生はかなりアグレッシブなのである。

「背中を押す」ことが得意技と聞いていた。
ところがじっさいはそんなモンじゃなかった。「背中を押す」どころか、いきなりドツかれて、崖から突き落とされてもうた。

私がモソモソ「音楽の勉強したいから大学行きたい」なんて寝言こいたら、
先生「いいんじゃない、やったら? ああ、もう電子ピアノはあるのね。じゃ、あとはピアノの先生探して、来年受験ね」

以上、おしまいっ!

えっっっ??? あ、あのう、ワシもうじき57才なんスっけど……
ええと、素寒貧なのもご存じっスね? 週3日のパートしかやっとらんって、ワシ言いましたよね?……

いやいや、即断即決のO先生には「年齢」だの「ゼニの多い少ない」だの「ためらい」だの、まっっったくアタマにございませんな。
いや、それはもうみごとに「ライフワークってのは、こうして決断するのよっ!」とキッパリ全身全霊で示してくれた。

ここらへんは、もう「名人芸」を鑑賞しているかのようで、なるほど、それを目の前で拝見することによって、その「ココロの在りかた」ってのがダイレクトに伝わってきた。
ああ、たぶんピアノを習うっていうのも、こんな感じじゃないかな?

先生は、とてもうれしいことも言ってくれた。
「春子さんはもう生まれ変わったんですからね。だから、これから出会うひとも変わります。ピアノの先生もきっといいかたに出会えます」

カウンセリングの終わりのほうで、そういうことばを与えてもらえて、ああ、いちばん聞きたかったことばだなあと、私は深く感動した。

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