カラダの声にしたがって、ピアノ練習をしばらく中断してみる

「痛み」というのは、やっぱりシグナルなんだろう。
ええと、警報ブザーが鳴っているのと同じだ。

今日になって、ふと、「じゃあ、ピアノを弾くのはやめておこう」と思い立った。

キーボードの使いすぎで、3月2日から痛みがひどくなり、いったん3月21日まではピアノの練習をやめていた。
それなのに、3月22日から再開してしまったのは、「アセリ」だったんだ。

アセッてたんだよねえ。
1日でも1時間でも1分でも、多く練習しないとうまくならないとアセッてたんだ。

といっても、1日せいぜい15分程度しか弾けていない。
まあ、だからこそよけいにアセッてたんだけど。

けれども、その「アセリ」って、結局「自分を信用していないからアセッている」と気がついた。

「たくさん練習しないとダメ」とか「少しでも早く上達しないと受験に間に合わない」とか、固く思い込んでいたけど、ソレってホンマ?

「練習の本質」って単純に「時間をかければいい」とは限らないはずだ。
そして、受験に間に合うかどうかも、いまの段階ではまったく予測できない。そもそもバイエルで挫折しているレベルだから、たぶんだれにもわからない。

で、「ライフワークを生きる」という大元に立ち返ると、要するに「ソレ、やっていて楽しい?」ってこと。
うわあ、アセッていて楽しいわけないよなあ。ひい。

私は、ライフワークの一環として「某芸術大学に進学する」と決めたけれど、それは受験までの過程もすごく楽しそうだからやりたくなったんだ。
大学受験ってのも一生にいちどは経験してみたくて、レッスンがタイヘンだったり、勉強に追われたり、高い壁を見上げてため息をついたりってのを、まあアトラクションのように楽しみたいんだよ。

だから、好きこのんでヒイヒイ言ってみたいのさ。
ロープウェイがある山でも、ふもとからぜんぶ歩いて登るヤツがおるやろ? それといっしょ。
私はまだ富士山を登っていないからすごく気になっている。おんなじように大学も行っていないからむっちゃ気になる。

そして、受験するからにはもちろん合格したいと思っている。
だって、富士山を登るのに、五合目か八合目でリタイヤするつもりで登るヤツってあんまりおらんしね。

なんでもそうだけど、自分自身がそう信じなくて、だれがそう思ってくれるんだろう?
「自分が自分の味方でいる」ってそういうことだよね。

だったら、いましばらくピアノの練習ができなくたって、べつに関係ないなあと思えてきた。
「登頂できる」と思えばホントに登頂できるし、「合格する」と思えば合格する。

それで、当分のあいだは「カラダの声」に耳を傾けて、手をいたわることにした。
ピアノの練習はきっちり中断して、手の様子を観察しよう。

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