放浪が好きなのに、なんでソレやめて、ピアノやりたくなったのか?というと、ま、その理由はいろいろあるけれど、ひとつには「『受け身』の状態ってつまんない」ってのがある。
去年北海道を車中泊で80日間フラフラしてみたが、楽しいことは楽しいんだけど、なんか物足りなかったんだよね。
足がおとろえちまって山には登れないし、登らずに観光地だけを巡っていると、ふうん、なんだかなあ、こーゆーのはもっとトシ取ってから、いやいまでも十分年寄りなんだけど、70代80代でもええかな?って思った。
カウンセラーN先生がしょっちゅう言ってるセリフに「あなたがたは好きこのんでわざわざ苦労したがるんですよね。フツウの生活にすぐ飽きるんですよね」ってのがあるけど、はああ、ワシもソレに当てはまるかねえ?
パッと思いつくのは、自分って「感動への欲」がすごく強い。
なんかとにかくうつくしいモノとかすごいモノとかに接して「感動したい」。
心の奥底から揺さぶられたい。
なんだけど、お手軽観光地で感動するよりも、苦労した果てに感動したい。
クルマでピューッと行って歩いて3分の観光地より、20kgかついで3日歩いた果てにある山奥の桃源郷で感動したい。
それでいくと、音楽もただ聴いているだけよりも、自分でアホみたいにピアノ練習して、弾いてみて感動したいようだ。
「聴いているだけ」だったベートーベンのソナタを弾けるようになってきて、めちゃくそうれしい。涙出そう。
世の中「聴き専」のひともぎょーさんおるのにね。ワシの父ちゃんも楽器演奏にはぜんぜん興味なくて、大量に聴くだけで満足しておったのにね。
ロープウェイがある山でもわざわざふもとから10時間かけて歩いて登るみてーに、ピアノもわざわざ何十時間も練習して自分で弾いてみたいんかね?
あ、でもピアノの練習と山歩きはすごくよく似ている。ワシは「歩くことそのもの」が好きだけど、ピアノも「弾くことそのもの」が好きだ。
単純に「運動することそのもの」が好きなんだよね。指の運動おもろい。
で、山だったらきれいな景色を堪能できる。
ピアノも、努力次第でうつくしい音色を出せるかもしれない。
いまのところ、ピアノの練習はずっと楽しいので、うん、もしかすると山登り並みにハマれるかもしれないという予感。