老化が進むいまこそ「カラダの声」を聴く

今年4月9日からピアノのレッスンを再開した。
そのまえにレッスンを辞めたのは13才のときだったから、44年ぶりの再開だ。

で、そもそもナニを血迷ったのか、そうや!どうせやるなら音大行こ! 行くならアソコや、子どものときに習った先生の出身校、某芸術大学や!とやにわに決めた。

それから毎日練習していたんだけど、あ、一日だけ休んだかな? ベートーベンソナタ1番1楽章をやりはじめて、オクターブがキツくて一日休ませたことがあったが、それ以外は毎日やっていた。

んでもさあ、今回「母指CM関節症」に両手ともなっちまって、ただいま安静中。ちーん。

ええと、完全に弾かなくなって今日で二日目、ちょっとよくなってきたよ。

箸はなんとか持てる。玄関のドアノブは、輪ゴムをぎょうさん巻いたら開けやすくなった。まだ洗濯バサミはつまめないから、洗濯モンは風呂場にバラまいてるけど。パックご飯は相変わらず開けられへんから、スーパーのおねーさんに開けてもらってイートインで食ってる。もお、要介護老人やっ!

で、さすがに思ったけど、「自分の手」がどういう状態なのか、ああもっと気をつけるべきやったな。
「カラダの声」にもっと耳を傾けるべきやったなって。

この母指CM関節症になるまえから、指の関節はもう8年以上痛くて、あっちこっちの整形外科、それから整骨院にかかってたけど、「なんで元通りにならへんのやろ?」ってずーっと思ってた。

ふと気づいたけど、その「元通り=若いころの状態」が「正しい」ということに執着しすぎてたわ!
そんなモン、「手だけが若返る」なんてありえへんわっ!

オツムの具合はわかっとったんよ。
年々アホになりよるってじゅうぶん自覚してた。

なのに、どういうわけか、手だけはわかっとらんかった。
だからだね、今回母指CM関節症になったのは。手が警告を発してるんだね。

ということは、「いまを生きろ」というメッセージだと思う。
57才という「いまのカラダ」で「いまのオツム」で、それでどう弾くかということなんだよね。

「過去の執着」も捨てて、「未来の不安」も考えることなく、ただ「いま」どう弾くのか?
それだけなんだよなあと、ようやく気がついた。

それを実現するためには、「いまの手」がどういうコンディションなのか、つねに観察しないといけないんだ。

で、それは手にかぎらず、痛むヒザであったり、衰える記憶力であったりもおなじことで、ああそうか、「いま」はそうなんだねって、その状態を良い悪いも関係なく、ただフラットに冷静に受け入れて許すことなんだなあと思う。

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