仕事において「やりたいこと」の許容範囲が変わった理由

先月19日に、パート先で退職勧告を受けた。
ああそうか、あれから2週間たったけど、そういえばワシってほとんど進歩してへんな。

基本的には、会社にいるときだけ努力してる。そして大幅なサービス労働はしたくない。一日あたり1時間半のサービスにとどめている。
シフト開始前45分の予習、シフト終了後45分の復習だけね。このぐらいが「自分の妥当なサービス」なのだ。

なので、ウチに帰ってからほとんど仕事の勉強はしてない。
だってさあ、ピアノ練習したいやん?

じゃあピアノのことがなかったら、プライベートもぜんぶブチ込んで勉強するか? うん?

ワシにも、むかしはそういう時代があった。サービス労働が月150~200時間が当たり前って会社も長かったんよ。パートになってからも、月100時間以上サービスしたときもあったけど、いやあ、さすがにアホらしなってソコは辞めたわ。

「そんなにサービスする自分ってなんなん?」っちゅーと、心理学的には「サービスしないと自分に価値がない」と思ってる証拠なのだ。
そこまでサービスして、やっとヒトに認められると思ってる。てか、そもそも「他人に認められて、はじめてナンボ」と思い込んでいる。

ソコが大まちがいであって、「自分が『自分の価値』を認めていたら」、他人に認めてもらう必要がない。
結局、自己肯定感が低いからこそ、他人に認めてもらいたくなる。ひと目を気にするし、いい評価を欲しがって「犠牲行為」に走るのだ。

心理学の勉強をはじめて数年になるけど、いやいや、さすがにそこらへんはようわかってきたわ。

カウンセラーN先生がしょっちゅう言ってるけど、「ソレってホントになりたいことなん?」
「やりたいことをやる」、「やりたくないことはやらない」。ただもうシンプルにそれだけに尽きる。

で、いまの会社のエラいさんに呼び出されて、「ここまで仕事が覚えられないのは、春子さんがはじめてです」って言われたから、ほう、そうか、そりゃさすがにマズいし、一日1時間半はサービスで勉強することにした。それはけっこうおもしろい。ウチに帰ってまでやりたくないけど、会社で粛々と勉強するのは「楽しい」範囲なのだ。

ただ、会社が要求しているレベルには一向に達しない。
今日もお客さんAさんに対する応対を覚えていなくて、先輩パートさんに「前にも来られたんだからちゃんと覚えてください」と注意された。

前回Aさんが来店された日を調べてみたら、9月16日だった。
う~ん、どうでっしゃろ? コレって覚えていて当然なのだろうか? ちなみに常連顧客はたぶん100社ぐらいである。先輩さんたちは4~9年勤続のひとたちだから、もちろんすべての顧客を記憶していて、お客さんが来られたら瞬時に対応できる。

まあ、約100社の個別対応をぜんぶ暗記したら、もちろん先輩さんと同じレベルになれるわけだけど、すんません、それは「やりたくないこと」なんだよねえ。徐々にしか覚える気がしない。

けれども、今日は夜になってから、ひとりの正社員のかたがわざわざ顧客応対のシミュレーションをやってくれた。1時間以上かけて何パターンかのお客さん役をしてくれて、ていねいに指導してくれたのだ。

そうすると、その時間分だけ本来ワシがやるべき処理ができなくて、もうひとりの先輩パートさんがとてもタイヘンになってしまった。ワシを指導してくれている正社員のヒトも、きっとご自分の仕事が滞ってしまっただろう。

なので、さすがに自分の考えかたをあらためることにした。
こんなふうに指導してくれるってのは、まだカンタンにクビを切るつもりがないからだよねえ。

はい。申し訳ありませんでした。明日から、ウチで「暗記」しますよってに。

じつは、来週火曜日のレッスンまでに、インベンションとソナチネを暗譜しようとたくらんでおったのだ。いや、べつに暗譜のご指示は出てない。ワシが調子こいて、勝手に暗譜がんばろかなあって思てただけ。

ソレをやめるわ。暗譜はやめて、「仕事の暗記」に変更します。
やっぱりいろんなヒトがワシのことを案じてくれているのだから、その気もちにこたえて努力します。
それはだいじょうぶ。自分が「やりたいこと」だから。

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