「習ったあと」どうするか?なんだけど「なにもしなかった」ってのも意味がある

セミナーが大好物なんで、これまでけっこう行きまくってきた。心理学系が多いけど、近場で気になるヒトの講演とかあればホイホイ聴きに行く。

「湯浅誠」さんの講演もスゴかった。貧困問題の社会活動家のヒト。「年越し派遣村」で有名になったあのヒトね。呆けてしまうほどむちゃくそハナシがうまい。数字に強く論理的。その説得力に圧倒される。それなのに笑いも満載。

そんなにハナシがうまい理由をご本人が語っていた。「ホームレス問題なんてすごくマイナー。小国が大国と交渉するには外交力が必要」。なるほど、その外交力のひとつとして話術に長けているわけだ。

なんだけど、ハナシに感激しただけで貧困問題にはその後興味がない。オノレが下流老人のクセに貧困問題は素通りしてもうた。

どんなセミナーもそうだけど、その道の達人が登壇しているのだから、聴いているときは惹きこまれてものすごく楽しいし、「よくわかったような気がする」。

そう、「そんな気がする」だけ。問題はそのあとだ。
セミナーで教えてもらった「実践方法」を、自分がちゃんと実行するかどうか?

去年11月に「ライフワーク・セミナー」に行った。一泊二日でやや高額な合宿セミナー。そこで同じグループになった若い女性が「セミナー行っても本読んでも、結局そのあとでなんにもしない」と言ってた。

うん、とっても正直なヒトだね。そう、ワシもめったに実行しない。めんどくさいからなにもしない。セミナー行って、おもしろかったなあってだけ。行っただけで終わってる。

でも、その「なにもしなかった」というのにもちゃんと理由がある。
それは結局、「ソコまで切羽つまってないよね」って証拠なのだ。なにか必要があってセミナーに行くけれど、そこで習ったさまざまなやり方を「わざわざ自分でやる気にならない」ってことは、つまりその問題は大したことないんだよね。

だから、貧困問題も関心ないままだし、心理学セミナー受けてもソコで出された課題は放置プレイ。

ところが、だ。
こないだ受講した「ストアカ」(ストリートアカデミー|まなびのマーケット)「シンが教える記憶術」セミナーだけはちがうなあ。

ワシ、この記憶術だけはなんとしてでもマスターしたいので、毎日ちょびちょび復習してる。スキあらばピアノを弾きつつ、記憶術も勉強してる。どっちも毎日コツコツやらんとダメね。反射的に対応できるようにするためには、とにかく「毎日練習」するのみ。

●記憶術をマスターしたい理由|その1
また新しい職につくわけで、こんどこそはクビにならないよう仕事を覚えるため。

●記憶術をマスターしたい理由|その2
遠い将来、某芸術大学に進学したのち、座学で活用できるようにしたいから。

やっぱり「ホンマに困ってたり」、「ホンマにやりたかったり」、って理由があると、べつに努力せんでも勝手にやりよるわ。ま、コトは「セミナーのあとの行動」に限らず、ホンマにやりたいことや必要なことは「自動的に」やっとるもんだよね。

それでいくと、ワシにとって「ピアノ」ってけっこう「ホンマにやりたいこと」だったんだなあと思ったりする。手はずっと痛い。もう一日中痛いのが当たり前。でも悩むことはない。痛くても弾きたいから弾くだけ。弾ける範囲で練習するだけ。

いちおう「某芸大進学」をめざしているけど、じつは「いま、弾きたいから弾く」という気もちのほうが本当だね。
「いま、やりたいからやってる」だけ。

たぶん、ソレでだいじょうぶなんだよ。そういう人生でええと思うわ。

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