今日で退職|この会社が私に教えてくれたこと

いまの職場、本日を持って正式に退職した。8月24日に就職してからちょうど3ヵ月後だ。おしまいの1ヵ月は仕事させてもらえなくなって、ただ座ってるだけで干からびそうになったが、いやまあ、ピアノのローン払わなあかんし、うん、せっせと座りに行ったよ。

べつにそれ以上どうこうされるわけでもなく、みなさん笑顔で好意的だった。なので、いまとなっては、ワシ迷惑かけすぎたかのう?とちと悪い気もする。

今日は早番のシフトだったので、自分の終わりの時刻になったらさっさと帰り支度して、名札をエラいさんのとこへ返しに行った。「たいへんお世話になりました」とアタマを下げると、エラいさん「ご苦労さまでした」とにっこりしてくれた。

ほかの社員さんにもあいさつして回ったけど、さすがにみなさんスッキリサバサバとした表情だ。ありゃー、やっぱし目ざわりだったんやろなあ。先輩パートさんのひとりは「つぎのところは決まったんですか?」とコソッと訊いてくれた。「はい、おかげさまで見つかりました」と答えると、その彼女「よかったぁぁぁ、安心しましたぁ」と心底うれしそうな笑顔を見せてくれた。



この女のコ、二十代のすっごくかわいらしい女性で、ホントにやさしくていねいに仕事を教えてくれたんだよね。あんなによくしてもらったのに申し訳ないなあと思ったけど、そのコは「また遊びに来てくださいね!」と明るく言ってくれる。う~ん、救われるなあ。

え? ワシが彼女の立場だったら、そんなに親身になって心配できるかなあ? いやあ、いまの自分にはできそうもない。「あのヒト、クビか、そうか、干されてんのによう会社来るなあ」ってあきれてるだけのような気がする。ああ、彼女みたいに思いやれるヒトになりたいなあ。

それに社員さんのひとりからも、以前「就活どうですか?」って訊いてもらったことがある。そのヒトったら「なんのお力にもなれなくてすみませんが」とまで言ってくれた。そんなふうにコトバにしなくても、たぶんおおぜいのヒトが心配してくれていたような気がする。

それはやっぱり「愛」だよねえ。

あの彼女もあの社員さんも、赤の他人のババアをどうしてそんなに愛することができるんだろう?!



で、会社の建物を出て、駐車場でクルマに乗り込んだとき、しみじみ思った。ワシもそんなふうに「ヒトを愛せるようになりたい」。

これまでずっと「愛されたい」とばかり思ってきたけど、そうじゃなくて「愛したい」と思った。そのヒトの存在をただ「慈しみたい」。「全肯定したい」。そんなふうになりたいと思った。

「愛する実践」はすぐにでもできる。
つぎの会社を愛すればいい。店長さん、店長の奥さん、先輩さんを愛すればいい。そのヒトたちをそのまま受け入れればいいだけだ。

ソコに「批判」をけっして持ち込まないこと。といっても、オノレのなかに勝手に浮かぶ思いもそのままに受け入れる。ああ、自分はそう思うんだよねって、それも認めてあげる。

自分がナニを思っても自由だけど、それと同じように「会社のやりかた」の自由も認める。どっちも同じ重みを持った大切なモノとして認めたうえで、主体的に「うん、いまは『会社のやりかた』を採択しよう」と決意する。

「そういう生きかたをしたほうがいいよ」と教えてくれたのが、今日辞めた会社だね。
ありがとう。感謝しています。

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