生まれて来た理由|ヒトに出会うためなのか?

「まあまあ動けるのが70才まで」というのは、ワシにとって妥当な見積りだ。なんせ「いま現在」しんどすぎてギリギリなんス。ブログじゃ「アレやりたい、コレやりたい」って書き散らしているけど、リアルはもうしんどくてかなわん。しかも年々ヒドくなっとる。

70才まであと「12年間」しかないが、ソレってどのぐらいの期間なんだろう?

過去を振り返ると、やっぱり「山登り」が参考になる。

●1996年9月22日 34才 稲荷山(京都府/標高233m)に登って突如ハイキングに目覚める。
●2009年10月頃 47才 おおよそ登り納め。延べ400山ぐらい登った。

なので、ちょうど13年間底が抜けたように登りつづけていたことになる。山の記録を見返していたら、四十代前半でもまだ「幕営縦走(ばくえいじゅうそう)」をガンガンやっとる。テントかついで4泊5日とか余裕のよっちゃんでこなしてる。

なるほどねえ、このころは「トシを取る」なんてまるっきりアタマになかったんだよねえ。すげえな。ワシにもこんな時期があったんやね。

いまなんかさ、ウチのマンションの階段上がるのもヨタヨタなんだけどねえ。エレベーターないからヤバい。70になったらたぶん上り下りできへん。もうヘルパーさんに来てもらうねん。「学生専用マンション」で寝たきりになるってのがシュールやなあ。



さて、12年という歳月は、たまたま山登り没頭期間とほぼ同じとわかった。まず思ったけど「順番正解やん!」
そうそう、「山→ピアノ・心理学」でよかったわあ! コレ逆順は成り立たへん。ここまで老け込んでから数百山登るなんてまったく不可能。冬山なんて28kgぐらい担いでたけど、ぷぷ、ババアができるわけあらへん。

たまーに「三十代のとき、ピアノ再開してたらどうやろ?」って思うことあるけど、登山黄金時代があまりにも輝かしいのでソレはありえないね。つまり、もし34才に戻れたとして「山とピアノ、どっち?」って訊かれたら、迷わず「山」を選ぶわ。ま、自然のうつくしさってそれほどまでドはずれてすばらしいんだよ。

じゃあ、ソコまでハマッた山にどうして安住しなかったのか?

それはね、「ヒトの魅力」に開眼したからなんだよね。
つらつら考えると、ソコなんだよ。音楽も心理学も「ヒトの魅力」に絡めとられてしもうたんよ。

音楽の原点は、ピアニストB氏なのだ。B氏の演奏でアタマがオカしくなったんだ。あ、CDしか聴いてないけど。B氏のシューベルト聴いてたら、道はずれてしもうた。それまでは、熟睡してるときに叩き起こされて「あんた、何者っ?!」って訊かれても「へえ、山ヤです」って即答できたのに、B氏のせいでソレがアヤしくなってきてん。いまはピアノの先生が震源地。

心理学の発端は、もっとむかしのハナシになる。二十代後半のころ、河合隼雄の著作がものすごく好きだった。精神科医の神谷美恵子にも傾倒してた。だいぶんまえからソッチ系が好き。ただその当時は本を読むだけで、セミナーに行くのはごくまれだった。

ところがっ! 数年まえにカウンセラーN先生のセミナーへ行ってドタマがオカしくなった。雷に打たれた。「こ、こんなヒトおるんやあぁぁぁっ!」ってブン殴られたみたいにショックやってん。

いやあ、リアルのヒトの魅力ってすっっっごいわっ!!!



なので結局、「音楽そのもの」「心理学そのもの」というよりも、「音楽やってるヒト」「心理学やってるヒト」の魅力がスゴすぎて、とうとう山から下りてきたっちゅーわけね。「そういうヒトたち」が「生きて目の前にいる」ってことに感動しとるわ。

てか、「オノレが生きている」ことそのものが、そもそもスゴすぎるやん?! なんで生まれてきたん?! なんでいまココにこうして生きてるん?!

そこらへんの領域を、だれかと共有したいんだなあ。そう思えてならない。
それをできそうなのが、ワシにとっては「音楽と心理学」なんだよね。

あ! いまわかった!

「死」の準備なんだ。「この世から離れる」ための準備なんだね。
そうか、だからこのトシではじめることになったんだねえ。

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