昨日の記事で「習うことが好き」と書いたけど、ええと、よく考えたら「勉強が好き」とはちがったわ。
ちゃうねん。
その「教えてくれるヒトの魅力」なんだよね。そう、ソレやっ!
そのハナシしてるヒトたちの「熱い思い」がたまらなく好きっ!
で、ついでにすぐマネしたくなるねん。ホント、なぜか同じことやりたくなる。
あ、それはだねえ、すぐれた指導者というのは、きっと「マネしたいという意欲」をかきたててくれるんじゃないかなあ。てか、単純に「あんなふうになりたいっ!」って思わされてしまう。おこがましいのは百も承知だけど。
なので、音楽でも心理学でも、結局「ソレをやっているヒトたちの魅力」が強烈すぎて、いやおうなしに巻き込まれてる感じやのう。
でさあ、そっちの世界にちょびっとだけ潜入できて楽しくてたまらんわっ! もうね、引き返されへん。そっちにズブズブはまってく。
対して、う~ん、やっぱり「仕事」にそれだけの魅力を求めるほうがまちがっとるわな。そりゃ、いまやってる仕事で会うお客さんにもステキなヒトはいてるけど、ほんの数分しか接することができない。店長さんもりっぱなかただし、先輩パートさんも一所懸命がんばってるヒトばかりだけど、そんなに深く関わるわけじゃない。
そこらへんが原因で、仕事がつまらんのかねえ?
なにせ18才から悩みつづけてるから、もはやがっちり「習慣」になっとる。「仕事に対する違和感」がずーっとドーンとそびえている。
たぶん、妹がコレ読んだら「おねえはずーっと好きこのんでおんなじコトで悩んどる」と思うやろねえ。彼女、好きな仕事を長年やってる。「仕事楽しい」という。ワシもそうなりたいけどなられへん。ナニをどうまちごうたんやろ?
けれども、今日はちょっと見かたを変えてみることにした。
そもそも「時間」というものは「均一じゃない」ととらえてみることにした。
これまではずっと「仕事に8時間取られた」とか「9時間取られた」と文句ばっかり言うとったが、アレは「1時間ぐらいのモンや」と思ってみることにした。
逆に、ピアノを弾いてるときは「今日も2時間しか練習できへんかった」とこれまた不満ばっかしだったけど、コッチは「ああ、5時間ぐらいできたな」と思うことにした。
「思ったら」ええねん。「そう思い込む」ねん。ピアノに「5時間分の集中力」をブチ込んだらええんじゃっ!
「ライフワークの1時間」と「ライス(米)ワークの1時間」は、まったく「質」がちがう。それなのに同じ価値を求めてしまって、ヤレ何時間損したってピリピリしとったけど、そもそも比べること自体がまちがってたわ。
というわけで、あの手この手を繰り出して、明日もとりあえず仕事行くべ。