登山塾で冬山をだいたい教えてもらったあとは、雪のある時期もドシドシ登ることにした。もともとハイキングもひとりではじめて、そのあとは本や雑誌、ガイドブックを参考にして、夏山はテントで縦走できるようになっていた。しかし、積雪期はアイゼンやピッケルを使いこなせないので避けていたのだ。
でもまあ、そういうヤツの使いかたを教えてもらったからといって遭難しないわけじゃない。雪のある斜面を登るんだから、ツルッと滑ったらアウトで、とっさにピッケル打ち込んで止めるなんてできへんできへん。
だから、まずまずカンタンな山しか行かなかった。それでも北アルプスは正月に一回登ったねえ。28kgのザックかついで、上高地から登って、蝶ヶ岳(ちょうがたけ/標高2,677m)の直下でテントを張った。
気温はマイナス20℃や。すべてのモノが凍る。登山靴もそのままじゃ凍るから寝袋に入れておく。雪もどんどん降り積もる。放っておくとテントがつぶれて窒息の怖れがある。夜は2時間ごとに起きてスコップで雪下ろしする。そう、スコップも持ってかなあかんのよ。
幸い翌朝は快晴だった。強風でぶっ飛ばされそうだったけど、蝶ヶ岳の頂上には到達した。神々しいほどの絶景が広がっていた。北アルプスの峰々が峻厳に輝いていた。あまり長居をすると足が凍傷になる。凍傷ってすぐになるもんで、足の指も手の指も意識してしょっちゅう動かしておかないといけない。疲れてくるとそれがおろそかになって、ああ小指の感覚なくなってきたなとかになる。
だから早々に下山した。テントまで戻り撤収にかかったが、すべてが凍り付いていてエラく難儀した。テントを固定しているペグとかどうにもこうにもはずれない。ピッケルで掘り出す。細かい部分はイライラして、うっかり手袋はずして触ったり、まあそんなことするとまた凍傷がヤバいんだけど、ついついね。
結局撤収だけに2時間はかかったか。あのときだけはだれかに手伝ってもらいてえってちょっと思った。テント本体もバキバキに凍ってるからデカいまんまザックにくくりつける。早く降りないと日が暮れる。あせりながらフカフカの新雪を探り探り降りていったけど、いちど道を見失う。フカフカが急にズブズブになって、あ、こりゃちがうなって気づいて登り返した。あっぶねえ。
這う這うの体で上高地まで下山した。ホントは上高地でも幕営する予定だったが、もうそんな余力はひとかけらも残っていなかった。山小屋に宿泊してヌクヌクと休んだ。
いつも正月はそんな具合で、1月1日の朝、目が覚めると霜がびっしり凍り付いてるテントを見上げるのが恒例だった。ワシにとって、元旦ってのは冷凍庫のなかにおるのがふつうやってん。
加藤文太郎というよく知られた岳人がいる。大正から昭和にかけて単独行で数々の偉業をなしとげた。その加藤文太郎がこう書いている。
「今日は元日だ、町の人々は僕の最も好きな餅を腹一杯食い、嫌になるほど正月気分を味わっていることだろう。それだのに、それだのに、なぜ僕は、ただ一人で呼吸が蒲団に凍るような寒さを忍び、凍った蒲鉾ばかりを食って、歌も唄う気がしないほどの淋しい生活を、自ら求めるのだろう」
ああそう、淋しさってのはたしかにあったね。そのころね。ずっと淋しかった。山になぐさめてもらいたかった。
さて、いま現在は岳人じゃなくて楽人たるピアノの先生が、ワシのマズい演奏を聴いて、「それではイヤなことが起こりますよ」なーんてことをおっしゃる。あんなコトもある、こんなコトもある、そんなのを何十回も経験しましたとか聞いたら、ワシ青ざめてきたわ。
そういえば、登山塾の先生が「斜面にある雪は、すべからく雪崩の危険性がある」って断言していたけど、とっさにソレ思い出したわ。
でもなあ、暗譜ができへん。トシのせいにしたらあかんけど、やってもやってもどっか崩れる。今日も「雪崩危険個所」を34小節ピックアップして3時間38分練習したけど、やっぱりまだどっか崩落しまんねん。今朝なんか、朝メシ食うのも忘れて練習しとったのにね。いや、トースト焼いてて、そのあいだピアノ弾いてたら食うのを忘れた。冷たく堅くなった食パンをもう一回あっためる。
それだのに、それだのに、なぜワシは暗譜ができへん?
しかし発表会では、どんな演奏であっても好意的に聴いてくれるヒトたちに会えるのだから、それはまたあらたなしあわせに出会えることだよね。