これまでずいぶんと「いやあ、トシだからねえ」「トシだから覚えられなくて」「トシだからデキなくて」「トシだからしんどくて」「トシだからウンヌンカンヌン」って言いつづけてきた。
まあ、オノレの実感としてたしかに「こんなハズじゃなかった!」ってのがどんどん増えてきたからなんだけど、えーっ?! ソレってもしかしてあきらかに「オノレを否定」してへんっ?!と気づいたわ。
だって「トシを取ること」もふくめて「いまの自分」なのに。いったい「何才の自分」にしがみついとるの? 何才で止まってたいん?
どこかで読んだけど、「『高齢になる』ということは、徐々に『障がい者になる』ことだ」という。「デキないこと」が増えていくのが当たり前。心身ともに機能がおとろえていく。やがていつかはだれかに介助してもらわないと生活できなくなる。この世に生まれ出たときのように、だれかに世話をしてもらわないと生きていけなくなる。
その途上にあるんだよねえ、いますでに。
でもそれはごく自然なことだ。「もうしばらくしたら58才の自分」って、仕事がデキなくて、楽譜も覚えられなくて、演奏もまちがいだらけだけど、それが「いまの自分」だから、うん!そのままでええやん!ってやっぱり言ってあげよう。
これまでずっと「トシだから……」と言い訳しつづけてたけど、ソレってウラを返せば「いや、『ホントの自分』はこんなんじゃないんです。『ホントの自分』はもっとちゃんとしてるんです。もっとデキるんです。だけど『トシのせい』で『ホントの自分』じゃなくなってるんです」って言ってるのとおんなじやん!
ああ、恥ずかしーーー。いやいや、このまんまが『ホントの自分』っス。それ以上でもそれ以下でもなくて、このまんまっス!
たぶんなあ、いっちゃん被害をこうむってるのがピアノの先生やと思う。すんません、すんません、すんませんって100回ぐらいあやまりたい。ピアノに関しては「ババアの言い訳」に加えて、「手が痛い」言い訳と「手が小さい」言い訳ってのもあって、あああ、なんかいま絶叫したくなってきた。
なので、本年の誓いは「ババアを言い訳にしない」である。職場でもレッスンでもトシのせいにせえへん。
そのためにはまず、ババアであるオノレを丸々受け入れてみよう。まあ、べつにそれでええやんって思えてきたけど。冷静に観察してみたら、ホンマに「どうしようもない部分」がけっこうデカいねん。「がんばってもどうにもならへん部分」、すっげえあるねん。
▼発表会の曲/シューベルト:楽興の時 第4番 D780/4 Op.94-4 嬰ハ短調。
昨日にひきつづき、テンポ上げるのをネチネチ練習。けれども、いきなり仰天したが一回め弾いたときのミスタッチが多すぎっ! いやあ、前々から「その日はじめて弾きはじめると必ず昨日よりヘタクソになってる」法則があるってうすうすわかっとったけど、あらためて記録するとね、なるほどぉ~って感心した。
で、昨日はテンポ34→40までいちおう上げられた。しかし今日は、
テンポ41 → 16小節目音抜け、25小節目ミス、33小節目音抜け、34小節目ミス、37小節目ミス、40小節目ミス、65小節目ミス、73小節目ミス、89小節目音抜け。
テンポ42 → まずまず
テンポ43 → 44小節目ミス、100小節目ミス、131小節目音抜け、139小節目ミス、154小節目ミス。
テンポ44 → ぎりぎりきわきわ
テンポ45 → 18小節目ミス、22小節目音抜け、35小節目ミス、44小節目ミス、76小節目ミス、89小節目音抜け、101小節目和音バラけ、108小節目なんかヘタ、126小節目ミス、137小節目弱すぎ。
ええと、問題のあった箇所は20~30回練習してるんだけど、必ずべつのトコが崩壊するわな。こんだけゆっくり弾いててもミスが治らへん。「誤作動」多すぎ。この曲、たしかにカンタンではないけど、しかし難曲大曲ってわけじゃない。たぶん小品だよねえ。
でも弾けないモンだねえって達観したわ。今日この曲は3時間59分練習したけど、なんやねん、そのあと1分欠けとるのは? いや、いっつもストップウォッチで計ってて、1分未満は四捨五入しとるねん。ま、そのぐらいやってもあんまし変わらへん。
それが「いまの自分」なんやねえって思って、とりあえず毎日練習するけど、まあデキるとこまでやるしかしゃーない。ババアなりの努力。それでいい。