ヒトにナメられてしまう理由、でもソレはリセットできる

カウンセリングって、やっぱり「見たくなかった自分」をほじくりかえされるもんっスねえ。せっかく「隠してきた」のにね。しかもね、昨日みんなの前でぱあぱあ明るみに出された。そりゃま好きこのんで「公開カウンセリング、受けますっ!」言うてやる気満々でのぞんだんだけど、なんかゴキブリになった気分やったわ。

ワシ、ゴキブリね。必死で逃げ回っとるのに、カウンセラー先生がプシューッて殺虫剤あびせかけるんだよね。これでもかこれでもかとブッかけられてマイッたわ。とはいえ、先生の根底にはもちろん「愛」があるわけで、うん、だからツラいんだけど、でもうれしいみたいな気もちもあって、なかなかに爽快な体験だった。

ええと、「見たくなかった自分」というのは、じつは「ヒトからナメられてしまう」ということだ。コレね、そういうことがあるのはうすボンヤリわかっていたけど、いや「見たくなかった」から大きな問題としてまったく意識していなかった。



このブログの読者さんはどう思っているだろうか? ワシは「ナメられそうなニンゲン」に見えるかのう?
「ワシ、ナメられそう?」ってズバッと訊けるのは妹ぐらいだけど、そもそも妹自身が他人からしょっちゅうナメられまくっているからなあ。

さて、いきなり結論だが、「どうしてヒトにナメられてしまうか?」というと、「自分自身が、自分のことを『たいしたことない人間』だと思い込んでいるから」だ。

「わたし、たいしたことないんです」って本気で思っているから、そういう無言のメッセージを全身から発しているんだよね。なので、たまたま「だれかをイジめてウサを晴らしたいヒト」とかに出会うとちょうどいいカモになっちまうんだよね。あ、こいつはナニしてもええヤツやなって見抜かれてしまう。

「ヒトにナメられる」とか「理不尽な扱いを受ける」とか「傷つけられる」とか、そういうのはぜんぶモトはといえば「自分が自分のことを『たいしたことない人間』」とかたくなに信じてうたがわないからである。

「ワシたいしたことねえっス! 思う存分いたぶってくだせえっ! そしたらもっともっと『たいしたことない』って証拠が集まって、ますます思い込みが万全になるっス!」
はは、やっぱり「自作自演劇場」だよねえ。



で、昨日のカウンセリングは、その「たいしたことない人間」を強制的にリセットする技法だった。数段階を経てかなり論理的にその「思い込みをリセット」(「ビリーフリセット」という)した。そしたら、ホントにあっけに取られるぐらいばっさりリセットされてしまった。

ほかにもね、ピアノのこととかもいっしょにばっさりね。

そうしたら、ふしぎなことに今日は「ピアノ弾いてるときの気分」まで変わったわっ! なんか音楽との距離が縮まったような感覚で、まえよりもずっと集中できる。ぐーっとのめり込める。うへへぇって愉悦が湧いてきて、こう弾こうか?ああ弾こうか?ってヘラヘラが止まらない。

昨日のカウンセラー先生が開催される「カウンセラー養成講座」に、3月から通う予定である。
ああ、たぶんきっとワシはもっと変われるはずだ。いや、「変わる」というよりも「本来の自分を取り戻す」んだよね。

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