大学と職場とザリガニがおる町

いまのパートは、去年11月26日に雇ってもらったんだけど、まーだまだ慣れない。もうじき3ヵ月になるというのにやっぱりダメ。とくに速さについていけない。サッサと処理することがどうしてもできない。

仕事の知識、てかそんなに複雑なモンじゃないけど、そういうのはウチに帰って毎日10分は復習している。その効果がちょっと出てきてマシになったが、お客さんとのやりとりに時間かかるねえ。むかしコンビニのパートでも「遅い、遅すぎる」ってずっと叱られてたけど、はあ。

先輩パートさんのうちのひとりが、コソッと「ココはラクやろ?」って言ってくれたけど、う~ん、どうかなあ? ワシにはまだむずかしいなあ。ただし、過去にやってきたパートのなかではたしかにまだラクな部類に入る。ちょうどコンビニとくらべたら10分の1ぐらいの忙しさだ。先輩さんなんて「前の会社とくらべたら100分の1」だという。

つまりかなりラクな職場っぽいのだが、いったいそれでどうして利益が出ているのだろうか? 先輩さんいわく「ココ僻地やもん、都会ならなんぼでも店あるけど、ココなんもないから」

そっか、僻地かーって思っていたら、先輩さん「ごめん、春子さん住んでんのに。でも地元ちゃうやろ?」とフォローしてくれた。



ここホニャララ町には昨年7月に引っ越してきた。4月にピアノのレッスンを再開して、じきにグランドピアノが欲しくなり、音出し可の賃貸マンションへ転居したのだった。音出し可の物件ってやっぱり音大や芸大の近所に限られる。なので、志望校にしている某芸術大学のすぐ近くのマンションに越してきた。

でも、ウチの近くはほとんど知らない。忙しすぎて散歩すらしていないからだ。どこになにがあるのかさっぱりわからない。町役場と郵便局ぐらいしか行ったことがない。パート先とウチの往復のみだ。それも田んぼのあぜ道をウネウネたどって通うだけ。同じ苗字の家が何軒もあってああ田舎じゃのう。農家がとても多い。

某芸術大学の建物はどこからでもよく見える。ふと思ったが、ワシがコドモのときに習っていたピアノの先生は、どうやってあの大学に通っていたんだろうか? もう半世紀以上まえだからもっと店も少なくて不便だったんじゃなかろうか? 自宅から通学するにもタイヘンな場所だ。

そのピアノの先生のこと、名まえしか覚えていない。顔はすっかり忘れた。若い女のひとだったな。親がよく「T先生は某芸大を出ているんだよ」と話してくれたから、ワシ、ピアノの先生になるには某芸大ってトコに行くんだなと思い込んでいた。



で、まさかこんなに田舎だったとはびっくりしたな。田んぼと畑ばっかしじゃん。でものどかでいい。そして、T先生もかつてこの町に4年間たしかにいたんだよね。んで、その数十年後にワシが引っ越してきたわけだ。

これから一生ピアノを弾きたいから、このマンションにずーっと住む。どういうわけか終の棲家は田舎になった。

将来はカウンセラーをめざすけど、そうかんたんに稼げるわけないし、当面しばらくいまのパートをつづけることになる。面接のとき、店長に「何年ぐらい勤めたいですか?」と訊かれて、「10年はやりたいです」と即答した。案外そのとおりになるかもしれない。

去年の夏、グランドピアノ搬入のあとに調律してくれた調律師さんが「あそこにザリガニがいましたっ!」と喜んでいた。ワシがいま通勤しているあぜ道沿いの用水路で発見したらしい。毎日忙しくてザリガニどころじゃなかったけど、あ、そんなにええとこやった。

なので、これからもっとこの町になじんでいきたい。ピアノを縁にムリヤリ「地元」にする。いまのパートも3年、5年、10年とつづければきっと一人前になれるはず。

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