あるブログで、そのブロガーさんが「やりたいこと」を「やるやる」と何度も書いておられる。「ナニをやるのか?」も決めているし、じっさいにつぎつぎステップを踏んで実行していっているし、え?順調じゃん? そんなしょっちゅう「やるやる」って書かないでも、いや、やりたいことはどんどんやったら?ってエラそうに思ってた。
そういうワシこそ「やるやる、某芸大行く、カウンセラーなる」とか連呼してるクセに、てか、オノレがそうだからそのブロガーさんが気になるんだろーなー。
自分のなかにもね、「怖さ」があってね、やっぱり「常識」とかゼロにはならない。「ふつーはそんなことしないよなあ」ってちょっと思う。でも、だからといって「ふつーに、自分の収入に合わせてちんまり生活する」というのもできない。
「好きなことはどうしてもやっちゃう」よね。たとえ怖くてもね。
だけど、そもそも「好きなこと」って「けっこうメドが立ってるモノ」じゃないかなあ?って思う。そないにね、「ぜったい実現不可能なコト」とか「絶望的なモノ」を好きにならんのちゃう? たぶんココロの深い部分で「ああ、そのぐらいのスケールやったらイケるで」ってわかってるんじゃねーの?
なので、そのブロガーさんのすなおな記事にいろいろ反応しつつも、いや、ワシはどっしり安定して「51対49(やる対やらない)」で行こう。ホント、これは変わらなくてねえ。僅差なんだけど、それがぜんぜん動かない。「やらない」に転じたことがない。
いっつも「やるぞ」になってるし、まあ、レッスン行ってるかぎりベルトコンベアみたいに課題が運ばれてくるし、だったら、カウンセリングも養成講座に行ったらきっとそうなるだろうと思っとるし、もしそうならなかったらソレもおもしろいと構えてるし。
やっぱり「好きかどうか?」というモノサシがいっちゃん正確だな。
さらに「めんどくさい」ことはやらないほうがいいとわかってきた。「めんどくさい」ことはだいたい「好きじゃない」ことだよね。それなのに、うっかりアタマで考えたり、損得勘定したりすると、「ホントは好きじゃないのに、やらないといけなくなった」とかなっちまう。
いまのパート、めんどくさい。やりたくない。その気もちにいつも正直でいたい。こんなにやりたくないのに、パート行ってる自分エラいなあって感心してあげる。
ワシの父ちゃんは、サラリーマンという職にまったく興味がなかった。給料や地位に無関心だった。それでも、家族を養うためにちゃんと働いてくれた。すごいなあ。
だから、こんどは「自分を養うため」にパート行く。で、ちゃんと「父ちゃんみたいにすごいやん!」ってホメてあげよう。
けれども、いつかは「好きなコト」で食べていく。そう決めている。
って、結局あのブロガーさんみたいに「やるやる」宣言になっとるのう。