「アドバイス」がすっげえヤバいって気がついた

本日カウンセリングの自主トレーニングをZoomで実施した。カウンセラー養成講座の受講生ひとりと、いつものようにデモセッションをやった。都合により、今回私は相談者役のみさせてもらった。

目下それほど困っていることはなくて、さて私はなにを相談したらいいのかな?と思い巡らせたら、まあ困っているのは妹だよなとふと思い出して、妹についての話を聴いてもらった。

1時間ほど傾聴してもらったあと、私がカウンセラー役のKさんに「全体的にどんなふうに感じられましたか?」と尋ねたら、Kさん「そうですね。ちょっと妹さんとの距離が近いように思えましたね」と言う。

それを聞いて私は、ああやっぱり癒着するクセがまた出ちゃったなあとがっくりきた。癒着というのは共依存ともいう関係性のことで、相手との距離が近すぎる状態をさす。


「だれかを助けたい」とか「だれかの役に立ちたい」という気もちは、とくに私のように自立ができていない人間の場合、その大元は自分の無価値感や劣等感である。

「なにもしない私、なにもできない私」に価値を見出せていない。根底には「できない自分」というビリーフがある。その無価値感を打ち消したいがために、だれかにおせっかいを焼き、そしてカタチだけでもお礼などを言ってもらって満足するというパターンを繰り返す。

そう、私は癒着癖があるから妹に対しても干渉したくなり、そしてコントロールしたくなる。そうしたらKさんが「他人に対してはどうですか?」

そうだなあ。そもそもパート先ではあまりにも仕事ができないから、私がなにか干渉する余地がない。しかしよく考えてみたら、たとえばだれかがエクセルを使っているのを目にして、電卓で手計算しないでも関数があるのになと思うものの、それを口に出すことはない。

この職場のやりかたがすでにあるのだから、それに対して私はなにか意見しようとは思わない。ってなことをKさんにつらつら話したら「それでは、他人に対しては適切な距離を取れているみたいですよ」と言われた。


そうか、こういったことは「ヒトとの距離感」に由来するのだとはじめて気づいた。なるほどね、相手には相手のやりかたがあって、私には私のやりかたがあると「境界線」を引けているということは、ちゃんと距離を取れているんだね。

さてそうなると、境界線を引けていないのは妹とのあいだということになる。Kさん「身内はむずかしいですよね。身内のカウンセリングは容易くないと思いますよ。なんだったら傾聴はちょっと置いといて、身内モードでもいいかもしれませんね」

それもそうだなあと思った。妹との距離をあけるということは意識するとして、でも傾聴はやめようかな。もし妹が、ただ聴いてほしいと望めばそうすればいいかもしれないが、少なくとも妹に対して「役に立ちたい、助けてあげたい」というバリバリ癒着モードは解除しないといけない。

「ヒトに干渉する」といえば、そりゃもう私の母ちゃんが干渉の塊みたいなヒトで、いっちゃんコドモに要求していたのは「自分をなくせ」ということだった。まあ、母は生い立ちが不幸だったから、母自身が本当のお母さんを欲しくて、「自分の思いどおりに動いてくれるだれか」を求めたんだろうね。母がそうなってしまったことはしかたがない。


ただ、コドモはコミュニケーションの取りかたを親から学ぶ。ちょうど日本語を話すのと同じように、ヒトとのコミュニケーションの取りかたも親のとおりマネをする。

私は母から「相手を徹底的にコントロールすべし」というメソッドをしっかり学んだので、私の行動はこれがベースになっている。その根っこには、これまた母から学んだ「なにもしない私には価値がない」というビリーフが存在している。

カウンセリングが一段落ついたとき、Kさんと「アドバイスのむずかしさ」について話し合った。そしたら、基本的にアドバイスはいらないんじゃないかとつくづく思ったね。

そもそも相手が自力で気づかないと意味がない。もし仮に相手がアドバイスを求めてきたとしたら、まずはその時点で相手が依存していると考えられるので、ますます手を出してはいけない。


逆に、自分がアドバイスをしたくなったときというのは「めっちゃヤバい」と気づかないといけないね。「アドバイスしたい=相手をコントロールしたい=優越感を感じたい=本当は自分がダメだと思っている=無価値感、劣等感じゃん!」という一連のからくりを思い出してみよう。

相手を「励ます」とか「ホメる」とか、これもコントロールの一種だな。相手から「喜ぶ」という結果を引き出したくてやってしまう。自分にごほうび(優越感)が欲しいから、まずエサをまくっていうのをやっているんだな。あいたた。

むかしあるブロガーさんから「春子さんは、コメント欄で相手をホメすぎてておかしい」と言われたことがあった。たぶん8~9年まえぐらいのことだったと思うけど、ありゃりゃ10年近くたっていまごろ理由がわかったよ。

今日のセッションは、なかなかイタいところを突かれてげんなりしたものの、ああこういうことはやっぱりカウンセリングをしてもらわないと気づけないよねえとまた納得した。

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