今日明日の2日間、カウンセラー養成講座「ビリーフリセット・リーダーズ講座」の第4講が開催される。
今年3月からはじまった講座で、3月と4月は東京の会場まで受講しに行ったが、5月はZoomも選べたのでウチでのんびりZoom受講した。東京まで行かなかった理由は、ピアノの練習時間を確保したかったからである。
私はセミナー運営者の苦労なんかちっともわからない大マヌケなので、6月以降もリアルかZoomか好きなように選べると勘ちがいしていた。そしたら、これから後はリアルでしか開催しないと数日前にわかった。
いやあ、ここらへんの私の感覚ってさすがにあきれるわ。まあ、昨日は妹の病院付き添いだったし、その翌朝5時に起きて東京まで行くってのがしんどい。それにZoomならピアノの練習もほぼふつうにやれる。
そんならやっぱりZoomがいいななどと勝手に思っていたが、ああ恥ずかしい、Zoomはもうしないんだって。
先月Zoom対応をしたのは、どうやらコロナウイルスの影響らしい。あっそう。私はテレビがないしネットニュースも見ないから世間に疎いんだよね。すいません。
とはいえ、今朝はいちおう5時に起きて駅までクルマで行って、電車と新幹線を乗り継いで、ふう、ちゃんと会場には10時20分に着く予定だったんだが、会場最寄り駅を出てから正しくは東に進むのに、なぜか西向いてしまって、大回りをしたあげく10時29分に到着した。開始の1分前だからええやん?
さて、私は課題をなにひとつやっていなかった。いやなんでカウンセラー養成講座でこんなに罪悪感でヒリヒリせんとあかんねん? さすればココであえて自分を責めないという修行を求められているのかねと解釈しつつ、とりあえずしゃあしゃあと席に着いた。
午前中はほとんどが講義だった。うん、聞いてる瞬間はなにかわかるような気がするんだけどね。いややっぱり聞く端から忘れていってるね。
ところどころ記憶に残るものの大半は失われていく。ザルで水汲んでる。せっかくリアルで受講しているというのに、私の脳ミソはなぜこうも反応してくれないんだろう?
しかし、前回のピアノレッスンを思い返してみたら、いやそれは明瞭に覚えているよ。とくにバッハシンフォニアの出だしを「悲しみを秘めたように奏でる」とか、とちゅうで加わる左手の十六分音符を「まるで右手のテーマを見守るかのように弾いてください」というすてきな指導は鮮明に覚えているよ。
そういえば、大塚あやこさんが午前中の講義でお話されたなかで、すっかりまるまる覚えているエピソードがひとつだけある。あやさんは作曲家でもあるので、ご自分が作曲された曲の楽譜を演奏者に渡し、そしてすぐにスタジオ録音することもあるそうだ。
当然すぐにはきちんとした形にならないけれども、そうした場合演奏者に対して、たとえば「ここをこうしてください。あそこはああしてください」といった指示をするとうまくいかないという。生き生きとした音楽にはならないのだ。
ではどうするのかといえば、あやさんはとても魅力的な例を語ってくれた。「こんなことを言ったことがありますよ。『まるで子犬の寝顔が見えるように演奏してください』。そうするとなぜかみんなよくわかってくれてうまくいくんです」
わかるわかるわかる!って、私は張子のトラみたいに首をブンブン振りたくなった。あんまりうれしかったので、その後グループで話し合いをする場があったとき、私は思わず「ちょっとどうしても聞いてもらいたいことがあるんですが」と前置きをしてしゃべってしまった。
「さっきあやさんが言われたようなたとえを、私が習っている先生もしょっちゅう言われるんですよ。たとえばね、『だれも歩いていない雪の上を歩くかのように』とか。音楽のイメージを言葉で表現できるって本当にすごいことですよねえ!」
グループのみんなは、すぐに私の思いを受け止めてくれた。みんなのあたたかい気もちがとてもうれししかった。それからあとは、自分が課題をちっともやっていなくても気おくれすることなく、すなおにその場にいることができるようになった。
午後はペアを組んでお互いにカウンセラー役と相談者役を交代してやるワークだった。まず私がカウンセラーになった。けれどもなにせちっとも勉強していないので相当あきらめてやってみた。
どういうお悩みだったかな? いまかろうじて相談者さんのテーマぐらいは思い出した。そのひとつのことについておよそ90分ほどカウンセリングをしたんだよね。
しかしくわしい内容はもうほとんど覚えていない。自分の本音に思いきり忠実になってみると、ああやっぱり私って他人がなにを考えているのか?ということに興味が持てないんだなとよくわかった。
はは、比べてみたら残酷なほどよくわかるよ。つまりね、あやさんが演奏者に言われた比喩の話と、相談者役の話と、さて私はどっちに興味が持てるか?ってことだよね。
そこはもう、自分にすなおになるしかないとあらためて思った。私は、自分がカウンセリングをするよりも、音楽のほうがはるかに興味があるということに過ぎない。
ただしカウンセラーは本来、「自分を無にする」ありかたが正しい。なので、いまの私のように「自分がなにかをすることをあきらめきって、相談者の力を信頼する、相談者自身が回答を持っている」という方向であながちまちがってはいないそうだ。
ひとつのセッション練習を終えて、つぎは役を交代してまたセッションを行なった。私が相談者役になったのだが、これは非常に手ごわかった。
私は長年、こういうビリーフ(思い込み)を持っている。
「私は嫌われる」
そうなのだ。ヒトから嫌われているというビリーフをずっと持ちつづけている。コイツをリセットするのはたやすくないとうすうすわかっていた。
「ビリーフリセット」というやりかたは、ビリーフをなくすのではなく、ビリーフと自分のあいだに距離を取り、客観的にビリーフを見られるようにするのが着地点だ。
しかしながら、私はとうとうこのビリーフをリセットできなかった。2時間近くカウンセラー役のヒトとモデレーター(認定カウンセラーが務める)が真摯に関わってくれたにもかかわらず、私のなかから答えは出てこなかった。
私は行く手をはばまれているように感じた。しばらくすると、それは「白い壁」に見えてきた。いったいなんだろう?この無機質でフラットな白々とした巨大な壁は。
講座終了時刻になったので、その壁のままでセッションはおしまいになった。私は思いのたけをブチまけることができたので、ビリーフをリセットできなかったにも関わらず、やや達成感に近いものを味わっていた。
そうしたら無性にピアノを弾きたくなった。今夜宿泊するホテルは、会場から徒歩2分という至近距離にある。これまたすぐそばにあるコンビニで夕食を買いホテルにチェックインした。
部屋に入るやいなやピアノを貸してくれる楽器店に電話をして、アップライトピアノの部屋を2時間予約した。むさぼるように食べたのち、その貸し練習室に向かう。
講座が終了したのが午後6時、貸し練習室でピアノのふたを開けハノンを弾きはじめたのがちょうど午後7時だった。うむ、私にしてはありえないほど迅速な行動だ。
楽譜のコピーもちゃんと持ってきていた。講座の課題は1枚もできていないというのに、楽譜のコピーだけはなぜ抜かりなく持参しているのだろう?
そのアップライトはやけによく響くなかなかいいピアノだった。ふうん、アップライトって顔の前から音が出てくるんだね。自分が出す音をよく聴けてたまにはいいなあと思った。若干響きすぎるピアノなのでタッチをコントロールするいい練習にもなった。
シンフォニアはやはりいちばん楽しかった。もっとずっと弾いていたい気分だった。ヒトに嫌われているかどうかなんて、いつのまにかどうでもよくなっていた。