すべてにおいて「才能」なんかいらないよねという結論

借金まみれのヒトに共通していることがあるらしい。それは、自分がいったい「どこからいくら借金しているのか?」ぜんぜんわからなくなっている場合がほとんどだそうだ。もちろん借金の総額もわからない。もう自己破産しか選択肢ないっスね、みたいなヒトはたいていそうらしい。

てな話をなぜかよく覚えているけど、まあ私はいま、借金がひとつしかないからね。グランドピアノのローンだけなので借入先がわからなくなることはない。しかし残高はようわからん。まだじゅうぶん7桁あるよな。6桁になるのは数年先じゃねーの?

督促状が来ないところを見ると、なんか知らんけどたぶん毎月払えてるみたいだ。払ってなかったら、きっとグランドピアノ取り上げにやってくるんだろうね。ブツがブツだけに差押えもおおごとだよな。ホンマにそないなるん?と思って検索してみたけどさすがにヒットしない。グーグルさんもごぞんじないことってあるんだなと感心する。

さて借金は一ヵ所だけだが、カウンセラー養成講座の課題は、いったい何月の課題が何個できていないのか?もはや完全にカオスになっている。どうにもこうにもヤバいのは自主トレーニングのセッション記録だ。おそらく4月なかばぐらいから1枚も記録を書いてないよね。


自主トレとは、受講生同士でじっさいにカウンセリングをやるということだ。いちおう最低基準が定められていて、約1ヶ月間のうちに「自分がカウンセラーとなるセッションを2回以上」および「自分が相談者役となるセッションを2回以上」となっている。

この基準を満たしていないと、ええとなんだったっけ? そうそう講座の修了証をもらえないのだ。その修了証もらえない場合、ずっと先の話なんだけど最終的に認定カウンセラーにはなれないそうだ。いやまあ、もうそんなすごいところまでとてもいけないのはわかっているから、まあ修了証をいまもらえなくても関係ないんだけどね。

ただ、せっかくすばらしい講義をしていただいて、そして認定カウンセラーのヒトたちも親身になってサポートしてくれるのに、ここまでやる気がないのをさらけ出してると、さすがに申し訳なくってね。

今日はパートが休み。ある受講生さんが誘ってくれた自主トレをズームで行なった。こんな私でも誘ってくれるヒトがいるんだよ。ありがたいね。カウンセラー役と相談者役をそれぞれ1回、2時間ずつ行なった。


やってみてあれっ?と思ったんだけど、これまでのうちで一番マシだった。つまりね、ここまでやる気なくて最低の課題もできていないというのに、それでもちょびっとは慣れてきているんだよね。こいつはびっくりした。

まあね、前回東京の講座に出席したときもがっつりセッションの練習をした。そして大塚あやこさんが、3時間にもおよぶ不可思議なグループセッションをやってくれた。そんなこんながいつのまにか自分の中に蓄積されているんだなあと感慨深かった。

本日の自主トレをセッティングしてくれたAさんは、仕事が忙しくてもカウンセリングの勉強をちゃんとこなしているようだった。いまではもう解説資料なしでもセッションできるほど腕を上げていた。

ピアノでいったら、暗譜でスラスラ人前で弾けますよというレベルだ。当たり前だけど、なんでもプロになろうと思ったらそこらへんが出発点だよね。対して私は、ほんとカウンセリングの勉強はみごとにやってないから資料を見ていてもセッションできない。


これまたピアノにしてみたら、つまり譜読みすらやってない状態なんだよね。はじめて楽譜見ますみたいな程度。初見っス。Aさんには「ごめんね、なんにも勉強してないので読みながらやります」と宣言して、資料をバッタンバッタンひっくり返しながらうろうろしつつカウンセリングやった。

そんなんでセッションになるか?といったら、いやちゃんとなった。それは、じつは私は関係なくて、Aさんがスキルを磨いているので、カウンセラー役がへなへなでも、Aさん自身がしゃべっているうちに、ちゃんと自力で解決して最適な着地点を見出しているのだった。

解決の糸口を見つけたのち、Aさんはぐんぐんと輝いてきて、あれよあれよという間に勝手に上のほうに行っちゃった。私はただ、はあはあフンフンとうなずいているだけだった。

一つのセッションが終わったあとは、相談者役のヒトがカウンセラー役のヒトに対してフィードバックしてくれる。今回も、Aさんが私のカウンセリングについて評価してくれた。


私はぜんぜん勉強していないから、フィードバックもヘチマもないんだけどねと内心苦い思いをしていたが、Aさん「春子さんは傾聴がとてもよくできていますね。すごく話しやすかったです。まるでプロのカウンセラーさんみたいでした」と言ってくれた。

うむむ、傾聴は1回目の講義で習ったもので、そういえば傾聴だけはちょっとまじめに勉強したかもしれない。さらに、いつだったか自主トレをやったとき、私のカウンセリングのマズい点を、相談者役のヒトとモデレーター(セッション進行見守り役)のヒトふたりに、おもくそガンガン指摘してもらったことがある。それは言われてみればそのとおりのことだったので、そう、かなりコタえていた。だから、自分の傾聴のマズいところをよく覚えているのだった。

そしてAさんは、私のカウンセリングの良くないところもたっぷりフィードバックしてくれた。
「春子さん、セッションを深めるための質問ができていないですね」
そうだよね、どういう質問をしたらいいのか勉強していないからわからなくてね。

「一度『過去振り(相談者の子供時代はどうだったのか)』をしてくれましたが、そのあとの処理がなにもなかったですね」
イタいとこ突いてくれるなあ。そうだよ、あとどうしたらいいのかわからなかったんだよ。


「あのときは『Aちゃんは悪くないよ』というような声かけが欲しかったんです」
なるほど、そりゃそうだな。

「それに、ビリーフから距離を取るときの3番目のステップで、あのコツを使っていませんでしたね」
あーそういえば、そんなコツがあったような気がうっすら。

「ステップの導入はとても心地よかったんですが、あのコツが抜けていたので、ちょっと引き戻されて流れが乱れたんですよ」
う~ん、そうか、ほんの少しのミスでも不自然さを招くんだなあ。

Aさんは、本当にありのままのことを話してくれたのでとても考えさせられた。要するに、私自身がちょっとでも勉強できている傾聴についてはまだマシなのだけれども、私は傾聴以外についてはまったく自分で勉強していないからね。そうしたら当たり前だけど、それはやっぱりそのまま反映されていてAさんに指摘された。


勉強したか、していないか。習得できているか、できていないか。単純にそれだけのことが相手のヒトに伝わっている。

あれ?なんかといっしょだ。そうそう、ピアノといっしょ。たっぷり練習したところはちゃんと弾けて、練習不足のところは弾けない。弾けていなかったらピアノの先生は無言だ。

なんかあれだよね。およそすべてのことが「やったか、やらないか」だけで結果が決まるみたいだな。そこには、べつに才能(と一般的に呼ばれるもの)は必要ないな。それが私の実感だ。

やればやるほど → できるようになる
やらなければ → いつまでたってもできない

ああ、それだけの話なんだなとひどく納得した。そしてズームでの自主トレが終わったあとは、すぐにピアノの練習をした。もうあさってがレッスンだからね。シンフォニアは新曲だしね。なのでいまピアノを弾くのは当たり前だよね。

かくして今日のセッション記録も書けるわけがないのだ。すいません、ごめんなさい、カウンセラーにはなりません。

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