ほんまに好きになると恥ずかしいモンだねえ

このごろ、自分が「某芸術大学に進学したい」などということをぱあぱあ言ってることが非常に恥ずかしい。

べつにそう思うのは勝手だけど、ブログでそないに書き立てることじゃねーだろっ?!って、軽くめまいがするほど恥ずかしかったりする。まあ、なんというか「志」とかは「ひとり胸の奥にこっそり秘めておく」のがふさわしいかのう。

でもさあ、「夢は公言したほうが叶う」っていうよね。それに、私はもともとなんでもかんでもぱあーっとしゃべりたいタチなので、黙っていられなくてこんなありさまだ。基本的にパフォーマンスが好きなんだよ。なので、ブログ書く、ピアノ弾くになりよるねん。

そういえば、人前で話すのもやっぱり好きで、先月カウンセラー養成講座でプレゼンしたときもおもしろかった。「目立ちたがり」やわあ。リアルでは地味なフリしてるけど、案外バレてるかもね。ほんとヒトってよく見ているもんだよね。


以前は「自分が目立ちたい、いろいろやりたい、注目されたい」ということにすごく罪悪感を持っていたけど、ピアノを再開してからあんまりそう思わなくなった。「楽器を演奏したい」ということは、要するに「だれかに聴いてもらいたい」ということで、でもそのこと自体、べつに悪いことでもなんでもないと気づいたからだ。

人類は多種多様の人間で構成されているのであって、「演奏したいヒト」もいれば「演奏を聴きたいヒト」もおり、両方とも存在しているからうまいこと成り立っている。「聴くだけのヒト」のほうが謙虚でエラいわけじゃない。どっちもおんなじ。好みで決めたらいい。

それに、心理学セミナーで会うヒトたちは個性的で多才なヒトが多い。表現することが当たり前なヒトたちと接していると、あ、そうなんだ、なにかぱあぱあ出したくてもそれでいいんだ、じゃ出しちゃおうって思えてくる。

なので、いまとなってはピアノを弾くことに抵抗はなくなってきたのだが、それはそれでヤバい。音楽とかダンスとか時代背景とか、ピアノから派生したモロモロがおもしろすぎてどんどんヤバくなっている。もちろん、ピアノそのものも深みにハマりすぎて困ってる。

困ったなあ。あまりにも好きになると、けっこう困るね。


そして、恥ずかしくなるね。ほんまに好きになると、あんまりぱあぱあ言えなくなるもんだね。

このところ、外で大学の看板とか目に入ると逃げ出したくなるわ。まあでも、大学の隣のスーパーが行きつけだから、大学の入り口から目をそらしつつ、けどあんまりよそ見運転したらまた事故るからほどほどにスーパー行ってるけど。

そんなに困るんだったら大学あきらめる? いんや、それはどっしり安定して行きたいよ。「『行く』対『やめとく』」→ずっと「51対49」で動かない。僅差なんだけど、これはタダの一度も「49対51」になったことがない。

だから、恥ずかしさは増すいっぽうなのだが、行く行かないを迷うことはない。「行く!」の一択しかない。

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