いまのパートは、就職してからもうじき9ヵ月になるというのに、まったく慣れない。
もう少しなんとかなるかと自分に期待していたのだが、ダメだった。ときどき書いているが、電気スイッチの位置すら覚えられない。スイッチの数もいま思い出せないが、6つぐらいあったかな? とくに表示がないんだよね。
毎日オンオフするとき、なんのスイッチかわからなくてメモ帳を出さないといけない。いつも暗記しようと心掛けるのだが、毎日覚えても毎日忘れる。モノの場所もすぐ忘れる。だれかに「アレ、持って来て」と言われると、やっぱり思い出せなくてメモをめくらないといけない。
こんな単純なことも覚えられないから、何段階かある仕事の手順はぜんぜん覚えられない。電話がかかってきたとき、お店の名まえを言わないといけないが、それも忘れる。とっさに出てこない。
電話の内容を聞き取るのもむずかしくて、これは工夫して「お電話がちょっと遠いのですが」を連発して何度も尋ねるようにしている。電話のあとは、それまでなにをやっていたか、きれいさっぱり忘れている。
それに「いま、なにをどうしているのか?」がしょっちゅうわからなくなる。字を書いていても、とちゅうで停止してしまう。ヒドいときは、なぜこの場所にいるのかもわからなくなる。そういう空白が、勝手に頻繁に生じてしまうのでますます仕事がおそくなる。
ネットでたまたま「若年性認知症」のヒトの話を見かけた。
大城 今も実は書類に名前書きながら一瞬、「あれ、俺いま名前書いてるんだよな?」って思ったんですね。「大城」って書いて「ん?」ってなって、「そっか名前書いているだよな、サインお願いされてるんだよな」って考えました。
伊藤 確かにさっきサインしているとき、一瞬ペンが止まりましたよね。自分が何をしているか確認していたんですね。
大城 そういうのはありますね。一瞬ひっかかるようなのですね。
伊藤 それは記憶が消えるのとはまたちょっと別の何かがあるんですね。
大城 たぶん意識が、自分が一瞬何なのか分からなくなる、というのがありますね。それで取り乱すということはないと思います。「あ、そっかそっか」って分かるので。
伊藤 書いている字が分からなくなるということですか?書いているという状況が分からなくなるということですか?
大城 一瞬「何やっているだろう」という感覚ですね。でも「大城」って書いてあるから、あ、そっかそっか名前書いているんだ、とすぐに分かるからサインだろう、ということは必要な書類があるんだろう、ということを理解して、また続けるという感じですね。ひっかかりとか違和感とかは、いっぱい、数え切れないくらいありますね。それを私なりに処理していますね。
私も、まさにこんな感じなんだよね。とてもよく似ている。しかも「注意」とか「努力」でなんとかなるものではない。最大限がんばっているつもりでも、「自動的に遮断」されていまう。ほんと、私も数え切れないほどそんなんばっかり。
大城 とっても今疲れやすいですね。何でこんなに疲れやすいのかなあ、と思ったら、いろんなこと意識しないとできないからなんでしょうね。
伊藤 フル回転ということですもんね。
大城 エコモードがなくてつねに全力モードだから、そりゃ疲れますよね。ずっと、人が歩いてもいいところを、私はずっと走っていなくちゃいけない。そりゃ疲れます。でもふだん家でひとりでぼーっとしているときでも疲れるから、ほんとに難儀というか、やっかいな頭だなあ、と思いますね。これが仕事とか、家族と楽しく外出しても、途中で帰りたいってなりますね。仕事だけじゃなく、どんなことでも頭フル回転ですね。
そうそう、だから私も疲れ切ってしまう。
あらためて「慣れる」とはどういうことか?というと、大城さんのいう「エコモード」でできることなんだろう。いつまでたってもそういう「慣れ」にならなくて、結局スイッチひとつ押すだけでもわからなくて、いちいち緊張して疲れてしまう。
ちなみに、自分のウチのスイッチも覚えられなくて、小さい紙を貼って表示してあるが、これまた引っ越しして1年たっても毎日目で見て確認している。まあ、これはひとりでやる儀式だから、なんぼでもゆっくりやれるのだが、ちょっと不便だ。
クルマの操作もいちいち考えないとできない。アクセル、ブレーキ、ハンドルはなんとかなるけど、発進・停車はものすごく考える。とくに停車したあと、いつも混乱する。なにをするのかわからなくなる。
いまもすぐに思い出せない。そうそう、シフトレバーをPにして……、サイドブレーキ……、フットブレーキから足を離す、ドアミラーたたむ、夜だったらライトを消す、雨だったらワイパーを止める、最後にエンジンキーを回してエンジンを切る。これだけあると、そりゃ思い出せないわ。以前は紙に書いて貼ってたよ。なおシフトレバーの位置はまったく覚えていない。目で見て確認。安全でええやん。
先日、支店へ臨時出勤したときの失敗ぶりは、本店の店長さんにも伝わっていた。やはりあきれているようだった。私がストレスに感じるのは、周りのヒトたちから「努力が足りない」と思われることだなあ。努力しても忘れるのは止まらないのに。
まあ、私は去年の秋、物忘れ外来を受診して「認知症ではありません」と診断してもらったが、いくらそういうお墨付きがあっても、現実にはすさまじい忘れようだ。なによりも私自身が疲れ切ってしまって毎日ものすごくしんどい。
けれども、私が大城さんとちがうのは、まだかろうじてできるのがひとつだけあることだ。
それはピアノだ。ピアノだけは歩留まりがいい。楽譜が読めないとか暗譜ができないという支障はあるものの、レッスンで先生がサジを投げるような事態にはなっていない。
どうしてピアノだけはまだなんとかなっているのか? もしかしたら、子どものときに弾いていたからかもしれない。13才まで習っていたので、脳ミソに「ピアノ回路」がうっすら残っているのか。
ピアノを習わせたのは親だ。辞めさせたのも親だ。さあ、どっちを重視する?
これはもう、「習わせてくれた事実」に対して本当に感謝しよう。よくまあ、私にこんな宝物を与えてくれたもんだねえ。おかげで、私はいま「ピアノだけはまだだいじょうぶ」と安らげるよ。いつまでもつかわからない。けれども、いま現在なぐさめられているよ。
だから、パートもクビになるまでがんばるよ。