「ピアノで仕事をしたい」といっても、なにをどうしたらいいのか皆目わからん。で、とりあえずいまのパートは継続せんとあかんでしょ。
これまでどこのパートもそうだったが「仕事がおそすぎる」とたぶん数万回は言われつづけてきた。だろね。そもそも早くする気がなかったし。これも「なにをどうやったら早くなるのか」さっぱりわからなかった。
ところが、だ。ここ最近ほんのちょびっと早くすることに成功している。まちがえる、忘れるのは変わらんのだが、仕事のスピードは時速30kmぐらいは出せるようになった。あ、みなさん60kmでやってると思うよ。なのだが、私はずっと自転車か三輪車並みだった。
それなのにどうして30キロになったかというと、「きれいにする」のをぜんぶやめたからだ。
まず「字を汚く書く」ことにした。最低限読めたらよろしい。いや、読めなかったら訊けよっ?!ぐらいのいきおいで開き直って、できるだけぐちゃぐちゃに書くようにした。スピード優先。筆圧も極力かけないほうが早いので、エンピツでうっすーくへろへろに書く。だれかに渡すメモも、単語だけ適当に殴り書き。
たったそれだけのことでわりと早くなった。ということは、これまでずっと必要もないのに「きれいな字を書こう」とムダな時間や労力を費やしてきたわけだ。
さらに「モノをきれいに置く」というのもやめた。これもなんか「まっすぐ置く」「並べて置く」「ツラをそろえる」とかやりすぎていた。そんなもんテキトーでいいのに、これもやっぱりぜんっぜん関係ないことをやりつづけてきた。
「きれいにする」ことなんかちっとも求められていないのに、そんなのばかり力入れてたわ。
そういえば、コンビニのパートにいってたとき、まあそりゃ商品をきれいに並べるのは大事だから、そういうふうに教わったよ。けどさ、早くやらないとね。
それなのに私は、肉まんを並べる向きもぜったいきれいにしたかった。肉まんってちっちゃい焼き印がついてるでしょ? あの焼き印が、外から見て真正面に位置するようにどうしても並べたかったのだ。
なので、べつのパートさんが適当に置いた肉まんですら、そのパートさんが目を離しているスキをねらって、ささっと肉まんの向きを変えといた。そして、たまにレジの外に出て、肉まんケースを眺めて、どの肉まんも均等に距離を取り、かわいい焼き印がきちんとど真ん中に見えるのを確認しては満足していた。
いや、そんなんやってたらそりゃおそいわな。だから、あちこちから苦情が殺到するんだよ。「並べる」ことより、早くレジ打つとかまちがわないとか忘れないとかのほうがはるかに大事じゃん。
「きれいに並べて」ごくたまにホメられるのは、スケールだけ。
もともとスケール大好きでさあ、なんで好きなのかついさっきわかった。要するに私は「きれいに並べる」ことがめっちゃ好きなんだよね。だから「音をなめらかにきれいに並べる」のに心血注ぎたくなる。ま、根っこは肉まんきれいに並べたいのといっしょなんだが。
一音一音に焼き印がついているかのように、この音はどっち向きに並べたらいいだろうか? となりとの距離は? 全体のバランスはどうだろう? 肉まん豚まんピザまんあんまんの適切な位置関係は? とか、ずっとやってるのがおもしろいんだよね。
よく考えたら、音楽ってのは「音を並べていく」モンだから、ああそうか、だから私は好きなんだよねーと納得した。
肉まん、いくらきれいに並べてもすぐに売れてなくなっていく。
ピアノもいっしょ。並べたハシから音は消えていく。どうせ一瞬で消えてなくなっていくものなのに、それでもきれいに並べたくて、こうかな?ああかな?ってずっとやってる。
ま、結局「並べたい」だけか。