「怖い」という感情がわからない|堀江さなえさんの個人セッション その2

エンプティチェアのワークとして、「4才の私」と「33才の母」のふたつのイスを置いた。「4才の私」のイスに座って「33才の母」を見ていると、母が烈火のごとく怒りつづけていた。

そして、ああいつもどおり怒り狂っているな、憤懣やるかたない塊になっているな、それがごく当たり前だなあとぼーっと思っていた。

だから、さえさん(堀江さなえさん)に「いまどんな気もちですか?」と尋ねられても、うまく答えられない。

気もち? 気もちってなんだろう。母があんなになっているのはいつものことで、そんなのが1年365日つづいて、まあうるう年とか1日増えるか。


うるう年で思い出した。

13才でピアノをやめないといけなくなって、どうしたらいいのかわからなくなっていたときに、一時支えてくれた友だちがひとりだけいた。その子が「ソルジェニーツィン、おもしろかったよ」と言っていたので、私は「イワン・デニーソヴィチの一日」を読んだ。

そして、ひどく「その通りだ」と思った。シベリアの強制収容所での一日を淡々と描いたその作品は、こんなふうにおしまいになる。

こんな日が、彼の刑期のはじめから終りまでに、三千六百五十三日あった。閏年のために、三日のおまけがついたのだ。

強制収容所での奴隷のような生活に「その通り」と思ったのはどうしてだろう?


もうひとつ好きな小説があった。安部公房の「砂の女」だ。

砂丘にやって来た男が、女がひとり住む砂の穴の家に閉じ込められる。男はあの手この手で脱出を試みるものの、しかしその奇妙で不自由な環境になじんでいく。そして、やすやすと逃げ出せる機会が訪れたとき、それでも男は逃げようとしなかった。

私は、その逃げようともしなかった男の様子がとても好きだった。そうだよねって思った。

さいしょは逃げようとしていたのに、さいごは逃げることを考えなくなった男を、どうして「そうだよね」と思ったのだろう?


それはもう明々白々で、自分がそうだったからである。私が幼いころから「牢獄」に閉じ込められ、そこで暮らすのが当たり前であり、「なにも感じないようにしていた」のだ。

そんな「牢獄につながれた4才の私」を、さえさんが鏡になって、ふっと見せてくれた。ああほんと、牢屋にいるんだ、私。拷問もされてるじゃない。でも、痛みを感じないようにしている。そんなの、なかったことにしている。

さえさん「こんな目に遭っていて、どんな気もちですか?」
私はぼんやり答える。「わかりません。たぶん『怖い』はずですよね。でもそれがわからない。『怖い』と思えない」


そうなのだ。私は「怖さ」を感じることができなかったのだ。もしそれを感じてしまったら生きていけないから。「怖さ」や「痛み」は「ないこと」にする。それだけが4才の私にできる唯一の方策。

「ひとつの感情」を感じないようにしてしまうと、ほかの感情も感じなくなってしまう。そういうことは、心理学の基本なのでアタマではよく知っていた。

そして、「自分はもうそうじゃない。心の学びをつづけてきて、もうだいじょうぶになってきている」と信じていた。

でも、そうじゃなかった。

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