調律の前日は、汚部屋の片付けでまたタイヘンだった。自分の部屋でカウンセリング自主トレをしたのが9月13日で、それから1ヵ月ちょっとたったら、うへえ、また床可視率がみるみる低下してたぶん50%ぐらい、見えてる床。
ただし、自主トレ前にかなりモノを捨てておいたし、そのあと買い物もしていない。となると、どっかから出したモノを床に放り出して散乱させてるだけだ。なので、とりあえず風呂場にぜんぶ突っ込んでおいて掃除機をかけたら、わりと短時間で人類が歩ける状態まで回復した。
それにしても、あっという間に汚部屋になるのはなんでだろう。ええと、「部屋の状態は、住人のアタマんなかがそのまま反映されている」らしいので、まあ確かにね、私のオツムはいつも散漫だからそれに連動して部屋もどんどん散らかっていくのだ。
いまの賃貸マンションは26㎡だが、前のマンションは16㎡だった。前のとこは中古マンションを99万円で購入してリフォーム後に入居した。駅から近くて便利だったものの、16㎡ってのはやっぱり狭すぎた。
居室は5畳きりだからベッド、机、電子ピアノ置くのがせいいっぱい。5畳一間にちっせえ流しがへばりついていて、机から皿やコップに手が届く。そういう無精はできるけど、そんな独房みたいなところに蟄居していると、じわじわ閉塞感にむしばまれて鬱屈していく。
去年4月にピアノのレッスンを44年ぶりに再開して、そしたらすぐにグランドピアノが欲しくなり、いまの賃貸マンション(音出しOK)に引っ越しした。16㎡→26㎡と6畳分も広くなったので、グランドピアノと電子ピアノを置いてもまだまだ余裕がある。
1年ちょっと住んでみて実感したのだが、やっぱりこのぐらい広いと気分も晴れ晴れするね。広いなあ、とっ散らかっていても平気だなあ、ちょっと片づけたらひとに入ってもらえるし、住み心地いいなあとのびのびしている。
旧居のマンションは、去年売りに出したら、たまたますぐに買い手さんがついてまあまあの値段で売れた。そのひとは、ちょうどそこのマンションを買いたいと探していた稀有なひとだった。売買契約のとき、とてもうれしそうにしていて、不動産屋さんに「メジャー持ってきました。あとでもういちど中に入らせてもらっていいですか?」と声を弾ませていた。
たまーにそのひとのことを思い出して、気に入って住んでくれているのかな?って考えたりする。
しかし、売ってしまったことはなんとも思わない。自分が住んでいたときは「持ち家だ、終の棲家だ」って安心していたけど、また賃貸に引っ越したら、いやべつに持ち家はいらんなあと思ってしまった。
それよりも、グランドピアノOKの物件で、しかもずいぶん広くなって、気もちとしてはかなりグレードアップした感がある。もうピアノが中心の生活になっちまったから、ここに住むのが最適だ。駅から遠いけど、クルマがあるから困らない。そういう田舎だから家賃も格安。
結局「老後の安心のため」というのは、必要じゃなかった。「将来の安心」を得ようとすると、どうもいろいろ制限されて「いま現在」が不自由になるような気がする。
調律してもらってウソみたいな美音になったピアノを弾きながら、ま、飛んでみようかな?ってときは飛んでみるのが正解だなあとしみじみ思った。