「やる気のない私」は「本来の私」ではなかった

今年3月から学びはじめたカウンセラー養成講座「ビリーフリセット・リーダーズ講座」は、明後日にもう最終講を迎える。またうっかり「ぜんぜん勉強できなかった」と騒ぎたくなるが、いやいやそんなことはない。

べつに私がなにか努力をしなくても、勝手になにやかや爆弾が降ってきて、私はどんどん変化を来たし、そして解放されていっている。そりゃもっと復習したり課題図書を読んだりやったほうがいいことはたくさんあるけれど、とりあえず「講座に出席するだけ」で自動的に改変されていく。

まあ「考えなくていい」。たぶん「感じること」なんだろう。自分はなにをどう感じているか? どんなふうに体感しているか? そこにフォーカスしていると、潜在意識のほうで勝手にいろんな出来事を持って来てくれる。私は、それをただ「はあ、そうなんですねえ」って感心して眺めていればいいだけだ。

しかし、そういう宝物を運んでくれるのは「ひと」なんだよね。それも、やっぱり私のことを案じてくれるひとたちが「これですよ」って差し出してくれる。


ずっとむかしに「ひと」のせいで傷ついたように思っていたけど、いまは「ひと」によって平安の方角へ向かっている。あれ? もしかして傷なんかもともとなかったかな?っていうほど、つるっと新しくなっている。

そうそう、昨日落ちてきた爆弾も超弩級だったのに、なんかあまりにもさっぱりしちゃって、今日ウチに帰ったらもりもりピアノ弾くだけで満足して、ええと、なにがあったんだっけ?

バッハ/フランス組曲第5番ジーグがむちゃくそ楽しい。とくに最後の部分。バッハのインベンションもシンフォニアも最後のあたりは音域が広がって低音の迫力が増すよね。あれ大好き。ジーグも最後が圧巻で、そこがいいからそこばっかし弾きすぎ。

なんだかねえ、ビリーフをリセットすればするほどピアノを弾きたくなる。おもろいねん。よし、だいぶん山の愉しみに近づいてきたな。


さて、昨日とても新鮮に感じたのだが、ビリーフってリセットしてしまうとまるで「別人格」みたいだなあ。

そのリセットさせる直前までは、「やりたい自分」と「やる気のない自分」はごっちゃになっていたのだ。と、あくまでもいまから振り返るとそう見える。いったい自分はやる気があるのかないのかぜんぜんわからなかった。

やる気があるんだかないんだかよくわからない。やりたいことがあるみたいなのに、それをつづけられない。コロコロ気が変わる。そして、つづけられない自分を責める。責めまくって、こんどはムリヤリがんばらそうと思ってもやる気は出てこない。

実感としては8割ぐらいが「やる気なし」だ。仕事、片付け、家事、風呂とかがそこにカテゴライズされていて、これぜんぶ滞っている。残り2割がピアノと講座受講。楽しいことがちょっとあっても、8割方に暗雲が垂れ込めているので、ずーっとモヤモヤしつづけている。


これまでカウンセリングの自主トレでも「働きたくない」「なんにもしたくない」「365日ダラダラしていたい」ばかり連呼してきた。だって、自分ではそうとしか思えないのだ。「すべてがめんどくさい」におおわれていた。

しかし、だ。昨日カウンセラー/堀江さなえさんに、「やりたいエネルギーを、ビリーフで止めてるからなんだかモヤモヤしてるんじゃないですか?」と言われて、ようやく解明した。

ほんとその通りだとやっとわかった。「やる気のない自分」というのは「やりたい自分」とはまったく別人だった。一瞬でそのふたつがぱっきり分裂した。

つまりね、「やる気のない自分」は「ビリーフ」だったんだよね。「自我」だった。「エゴ」だった。


ええと、ここで「ビリーフ、自我、エゴってなんですか?」って尋ねられたら説明に困るのう。ひと言でいうと「本来の自分」ではない。子どものころに生き延びるために身に付けた戦術みたいなものだ。

私の場合、「本来の自分」はやりたいことがある人間なのだ。しかし、ごく小さいころから母ちゃんに「自分の意志を持つな」というしつけを受けたために、「やりたいと思ってはいけない」というビリーフを持ってしまった。そうでないとどエラい目に遭うからね。

↑でも、これって昨日やっと気がついた。なんかげっそりする。58年間もなにやってたんだか。

じゃあ、ビリーフをリセットしたら今日から元気いっぱいか?というとそうでもなくて、べつにけっこうやる気なくなる。


しかし、これまでと大違いなのは、やる気がない状態であっても、そのとき「イヤな気分にならない」のだ。どんよりしない。「やる気出さなきゃ」とも思わない。あ、いままたビリーフが出てきたなあと気がつく。

そして、「ありゃあ、本来の自分じゃないよな」って見ていられる。で、そりゃ出てくるよなって思う。だって、58年も主力で使っていた武器だからそうかんたんに手放せない。

あと、なんとなく「ひとの気配」をまとっているから無下にできない。あくまでも私の感じかたなのだが、ビリーフって「ひとのかたち」をしているように感じる。

うつむいた小さな人影みたいだ。だからふーっと出てきてもそのまま見てるだけにしている。まあ、居ててもかまわんよって思っている。

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