【注:残虐な表現が苦手な方は読まないでください】インナー母ちゃんに対して「怒り」を出すワーク その1

私は、幼少のころから母にヒドい目に遭わされていたにもかかわらず、いまだ母に対して「怒り」を感じることができない。その「怒り」をちゃんと感じて発散していないがために、ずっと不平不満をいだいており、他人に対して牙をむいてしまう。

今日は妹から「そうだね、キズキズで、シャーっって吠えてる野良猫みたいだよ」と言われた。

えーっ?! これはびっくり。だって、「ビリーフリセット・リーダーズ講座」の最終講で、「『以前の私』と『いまの私』を歩いて表現する」というワークがあったとき、「『以前の私』はまるで手負いのノラ猫みたいで、だれに対してもシャーッ!てやっていました」って演じて歩いたんだよね。

まいったなあ。たぶんだれもが私のことを「こいつ、傷だらけのノラ猫みたいだな」って思ってるんだ、やっぱり。


堀江さなえさんは「春子ちゃんからはね、『嘆き』『憤り』『理不尽さ』を感じるのよ」と言われていた。まあ、そうだろうね。そういう感情を母に持っているもんね。

正確には「インナー母ちゃん」に対してね。インナー母ちゃんとは「私のなかに内在している母」である。リアル母とはまったく関係ない。私が子どものころに「インナー母」を自分のなかに作り上げて、それをずーっと持ちつづけているのだ。

そして、その母によって傷つけられた子どもが「インナーチャイルド」だ。インナーチャイルドもまた、ずーっと私のなかに内在している。

結局、そのふたり「インナー母」と「インナーチャイルド」を成仏させないことには、私はやみくもに他人に対してシャーッ!をやりつづけることになる。これ、ガマンしてなんとかなるもんじゃない。ちゃんと「未完了の感情」を感じないと解決しない。「過去の傷」に向き合わないといけない。


なので、そのための自主ワークとして「メッタ切り」を行なうことにした。

まあ、とりあえず白菜を買ってきた。ほんとは丸々1個が欲しかったけど、半分のヤツしか売っていなかった。流しに置いたときに安定するから半個でいいか。それにしても、そうだ、世間は正月だというのに、なんで私は「メッタ切り儀式」用の白菜を買わんといけないんだ? あの某芸大の隣にあるスーパーでね。

ウチに帰ってからも、なかなかやる気にならない。そりゃそうだ。「ぜったい見たくない傷」をもういちどパックリ開けるなんてだれでもやりたくない。半世紀も封じ込めていたのに、それをいまさらなんの因果でヘドロをかき回すんだよ? 痰ツボひっくり返すんだよ?

けど、やっぱり今日こそやろうと決心した。それはさえさん(堀江さなえさん)と「やります!」と約束したからでもあり、これからのちパートナーに出会いたいからでもあった。ノラ猫やめないとほんとダメじゃん。


まず、流し周りのモノをぜんぶ床に降ろして、なにもないところに白菜を横たえた。そういえば、下にまな板を敷いておけばよかったのに忘れた。そして、台所の小さい灯りひとつだけを付けておいた。

部屋の照明も半分に落とした。暗めのほうが深い部分に潜れる。いちおうイスをふたつ置く。机のイスは自分用、ピアノのイスは母用。

そして、私は大きな包丁を取り出して机の上に置く。この包丁を使ったのは一度きりだ。料理しないからね。包丁が机の上にあるというだけで不自然だ。かなり違和感を覚える。

机のイスに座って瞑想状態に入る。母ちゃんに対してうまく怒れるかな。いや、よくわかんないな。

ちょっと深まったころに、ぼーっとしながら包丁を手に取った。


その包丁を右手に握ると、突然衝動が走った。その刃を首筋に当てたくなった。ゆっくり慎重にそうしてみた。首の右側にひんやり冷たい感触があった。

と、やにわに鏡を見たくなった。なので、手鏡を見た。

鏡に映っているのは、包丁を首筋にあてがった初老の女だった。

ああっ! トシ子さんだっ!

私は「トシ子さん、……おばあちゃん!」と思わず声をあげた。


トシ子さんとは、私の母方の3番目の祖母だった。複雑なのだが、母方の祖父は3回結婚した。ひとりめはよその男と駆け落ちした。ふたりめは早死にした。そのあとに来たのがトシ子さんだった。トシ子さんは長年看護婦さんをやってきて、ずっと独身で婦長さんになり、でもかなり年配になってから祖父と結婚した。

トシ子さんにいちどだけ会ったことがある。私がまだ小さいころだった。私はおばあちゃんに会えてうれしかった。ひとりめとふたりめのおばあちゃんは知らない。

私と会ったとき、そのおばあちゃんは風邪を引いていた。私はどきどきしながら「おばあちゃん、カゼだいじょうぶ?」と訊いてみた。

おばあちゃんは「春子ちゃんはやさしい子だね」と言ってくれた。そんなふうに言ってもらいたくて「だいじょうぶ?」と尋ねた小賢しさを自分でわかっていながらも、うれしかった。


でも、トシ子さんが「おばあちゃん」でいてくれたのはあまり長くなかった。トシ子さんは自殺してしまったからだ。

自宅の鏡台の前で、包丁を首に突き立てた状態で発見されたという。看護婦さんだったから、そう、頸動脈の位置を鏡で確認して刺したんだろう。頸動脈切断による血しぶきってたしか数メートルだったかね。あたりは血の海だな。

そのトシ子さんを、いま手鏡のなかに見て、さすがにぞっとした。私は包丁を机のうえに放った。

ふと、背後にひとの気配を感じた。

振りかえると、ピアノのイスのうえに人影が見えた。

トシ子さんだった。


ぼんやりとしたひとのかたちにしか見えないが、それはトシ子さんだとすぐわかった。

「おばあちゃん、来たの? そうなの?」

私は呆然としながら、その人影に話しかけた。

「おばあちゃん、どうしてこんな怖いことができたの? こんなのできないよ。これを刺せるってどういうこと? どうして死んじゃったの?」

そんなふうに訊きながら、私は涙があふれてならなかった。

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