そろそろ「気になるモノはぜんぶ回収してから、あの世へ行こう」と思いはじめて、だから2年ほど前ですか、やにわにピアノを44年ぶりに再開するという暴挙に出たわけだが、やっぱり「そんな程度の動機」がまずかったかねえ。
発表会での大失敗がいろいろ発展を遂げている。思えば、あの日は1月17日だった。阪神大震災の日だったね。
震災の直後はそれなりにタイヘンだった。まあ、被災したひとたちはみんなそうだから黙々と生活の立て直しを図ったんだろう。私も住むところがなくなって、でも結果的にいちばんよくめんどうを見てくれたのは当時勤めていた会社だった。
半壊になったウチに、はじめて突然電話をかけてきたのも、会社の上司だった。私も両親も変わり者だから人付き合いがまったくなく、こんなときに連絡があったのは、私の勤務先からと、あと母の義弟からだけだった。
そのころはありがたみをちっともわかっていなかった。会社の寮に入れてもらえてけっこう当たり前で、寮から駅まで歩くのが遠いなあとか文句垂れてた。私なんてちょこちょこ事務や雑用しかできないおばはんだったのに、会社の上のひとたちはずっと気にかけてくれていた。
「なにか困ったことがあったらすぐに相談してください」としょっちゅう言ってくれたが、ああ、はいはい、わかりましたぐらいにしか感じなかった。ねえ、いろんなひとたちが手を差し伸べてくれても、受信機が壊れているとわからない。
ふつうのひとはこういうときに「うれしい」と感じるはずだと推測できるけど、自分のなかから「うれしい」という感情は湧いてこない。べつにうれしくないから、たぶん仏頂面さげて口先だけのお礼を言うのみだった。
そんなヤツに対しても、面倒見のいいひとたちはあれこれ気にかけてくれる。私が「地震のせいで熟睡できなくなった」と不満をこぼしていたら、西国三十三所巡礼を熱心に勧めてくれて、そんなにしつこく言われると、まあせっかくだから行ってみようかと思い立ち、でもそれがきっかけで登山にのめり込むようになった。
山で感動に浸っているうちに、だんだん自分の「深い部分」につながれるようになってきた。山に行けばしあわせになれると確信した。じっさいどこの山に登っても「至福のよろこび」が降ってきた。山中をひとりで歩いているだけで愉悦がこみ上げてくる。
だから、震災が私にもたらしてくれたのは、えっ、こんな「究極のしあわせ」だったの?ってなっちまって、じゃあ私にとってあの地震は恩恵だったね。
それだけで人生をまっとうしてよかったのに、うっかり山を下りてきた。
ひとりでは寂しくて、下りてきてしまった。
今日、パート先のお店でひとりのお客さんが私にこう言った。
「樹氷がきれいだった」
私はそのお客さんの顔を覚えていなかった。適当に「どこへ行かれたのですか?」と尋ねた。
「〇〇山だよ。あなた、〇〇〇〇谷から登るって言ってたでしょ?」と、その年配のお客さんは答えた。
えーっ、そんな話、このひとにしたっけ? ぜんぜん覚えていない。でも、〇〇山の人気ルートは混むのが苦手で、むかしは谷沿いのルートからいつも登った。なるほど、あまり一般的じゃない道だから、このひとは私がどのぐらい登れるかわかって覚えていたんだな。
「毎日登るんですか?」
「そうだね。僕はHさんにあこがれて〇〇山をはじめたんだよ」
「ああ、Hさんね、あのひとはすごいですね」
「もう八十超えてて、歩くのはだいぶん遅くなってる。でも、すごいんだよ。チェーンソー、まだあやつれるから」
「えっ?! そのおトシでまだチェーンソー使えるんですか?」
「うん、登山道の整備、若いモンをまだまだ仕切ってる。チェーンソーもこんなんだし(とお客さんは腕をぶん回す)、杭も打ち込める(と大きな木槌を振りかざすしぐさ)」
Hさんの名まえはよく知っていたけど、ひええ、そんなに陣頭指揮取ってる話を聞くのははじめてだ。八十超えてそんなんってすげえ……
お客さん自身も〇〇山に数千回登っているツワモノだったが、Hさんの話がとても多くて、ああそうか、あこがれのひとといっしょにボランティアで登山道を直したりマラソンしたり、ほんとに楽しくてしょうがないようだった。
私は、〇〇山のこともHさんのことも、それからお客さんのことも話を聴くのがおもしろかった。お客さんもうれしそうだった。
夜になって、ビリーフリセット・リーダーズ講座のFacebookを見ていたら、認定カウンセラー/堀江さなえさんの投稿で「登山道整備に情熱を傾ける~藤 このみさん~」が紹介されていた。
うわっ、シンクロニシティだ。「意味のある偶然の一致」ってやつ。
ふうん、やっぱりこんなふうに「つながる」ってすごくうれしいな。お客さんと、Hさんと、〇〇山と、堀江さなえさんと、藤このみさんと、北海道の山と、みんながせーのっ!で私のところでパチンとはじける。
それが、今日という日。
だとしたら、1月17日は「揺り動かされる日」かもしれない。大変動の日。