こんなに働くのがキラいなヤツにも将来年金が出るなんて

「仕事とはなんだろう?」と延々悩みつづけてきた。

いちばんはじめに働いたのは高校三年生のときで、短期間のアルバイトだった。そんなにむずかしい仕事ではなかったが、初日からひどくイヤだった。ガマンしてイヤイヤ働いて、やっともらえたお金はぜんぶ母に渡さないといけなかったのでガックリした。

高校を卒業したら、やはり親が決めた会社へ就職した。これまた研修のときからイヤでしょうがなかった。あまりにもツラかったので、数年たってから「いや、これは楽しいことだ、おもしろいことだ」とすり替えるようになった。

意外とこういうことは出来てしまう。だから、けっこう長い間「私は働くことがとても好きだ」とカン違いしていた。でも、どこかヘンだった。ほんとうは好きじゃないものを好きと思い込むと、いずれ破綻する。


お約束の強制終了がやってきたのちは、中年引きこもりになった。

その後、なんとかがんばってパート勤めにこぎつけたものの、どこもうまくいかない。48才以降、物忘れに悩まされることになる。どこに勤めても仕事が覚えられず使いものにならない。

けれども、途切れ途切れに働いてもうまもなく59才になる。そうか、働きはじめて41年たつんだね。これまでの人生でいちばん多くの時間を仕事に費やした。しかし、なにも残っていない。それなりにもがいてきたのに手元になにもない。それが虚しいなあ。

妹はこう言う。「そんな働きかたをしてるから、放浪とかできるでしょ? ふつうのひとはそんなことぜったいできないんだから」


そうかなあ。私「ちゃんと働いているひとでも、その気になれば数ヵ月の休みを取れるんじゃない? 行きたいところに自由に行けるよ」
妹「いや、そんなことできないよ。おかしいよ。ふつうはつづけて働くよ」

そうかなあ。

当たり前のように仕事をしている妹とはずっと平行線だった。

私はなにかまちがっちゃったのかなあ。こんなに長い間「仕事が、ねえ……」ってため息ついてるのはおかしいかなあ。

そもそも「仕事が悩み」というわけではない。「最低限働かないと食っていけない→なんでもいいからハローワークで物色しよう」というだけである。そのぐらいのヤツに限って「やりたいことを仕事うんぬん」とかエラそうに言ってる。


ただし、この悩みは「有限」なのだ。年金がもらえるようになったらほぼすべてが解決するからだ。

これが不可思議な結末に思えてならない。これほど長年悩みつづけてきたことを、最後は「国」が、「はい、よくガマンしましたね。これからはなにもしなくていいですよ」とパラダイスを提供してくれるというシステムがあるなんて!

じゃあ、これまで悩んでいたのはなんだったんだろう?って思うんだよ。最後の「上がり」で「必ず国が助けてくれる」と答えが決まっているゲームなのに、私はいったいなにをやってきたんだろう?

いちおうレッテルはさ、生きがいだの、ライフワークだの、ミッションだの、なんかそれっぽい看板掲げてきたけどさ、どうだろうね?


もしかすると「ちっせえ自分」をゴマかすために掲げていたのかもね。ほんとはもともと「年金ていどのお金で生きていける自分」なのに、いやいや、ちゃいます! もっとデカいことができるのが自分っす!って虚勢を張ってたねえ。

こないだ会ったあのひと、「だいじょうぶ! 春子ちゃんなら生き延びれるわっ!」って言ってくれた。

ふふ、まるで自分のことみたいにうれしそうに息を弾ませていた。ほんとの私を見抜いて「働くのがイヤなんだねえ、それでいいよ」とうなずいて、「だいじょうぶ!」と太鼓判を押してくれた。

あと数年、生き延びるための方策を考えないといけない。ごほうびをもらえるのはほぼ確実なのだが、あのひとの笑顔を思い出すと、ああ、もうちょっとなんとかしようかな、と。

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