自分ってせいぜい「1」だってわかってきた。その「1」のくせに「10」をめざすからおもくそしんどかったとも気づいた。
「1」かあ、たったの「1」かあ、1円分ぐれえしか働けねえもんなあ、時給1円のパートでちょうどええなあ、1円じゃなんも買えへんなあ、それでもしゃーないなあ、おまいはもともと「1」なんだから。
でも「1」のクセに「10」をめざして生きてきたんだな。なんだったんだろう、これまでの人生は。
ペンペン草が「よし、将来は大木になるぞ! 屋久杉ものけぞるような巨木になってやるわい!」ってやってたんだ。
とか考えたら悄然とするわな。ほんま冷え冷えする。草の分際でよくまあそんなタワゴト抜かしよって。
そしたら、堀江さなえさん(ビリーフリセット認定カウンセラー)がこんなコメントをくださった。
「冷え冷えってのが、なんか実感あるね
その、寄る辺ない感じ、再スタートって感じがするよ」
そうやわあ、ほんま「寄る辺ない感じ」がドンピシャだわあ。まあもう、やり切れない。こんなはずじゃなかったのにこんなだった。よくよく見たら「1」だった。
でもそしたら、自分にぜんぜん期待しなくなった。だって「1」じゃん。「1」以上のナニを期待すんのさ? 1円でっせ、ホラ1円。
すると思いがけない効用があった。それは「他人にも期待しなくなった」。他人にも「1円もらうぐらいでええわ」と思った。だから、ひとの機嫌のいい悪いが気にならなくなったのだ。
そもそも「ひとの機嫌」なんてゼニにもならないのに、よくもまあ「だれの機嫌がいいの悪いの」と延々気にしていたのう。もとをただせば「親の機嫌」を子どものときに気にし過ぎていたからだ。
でも、Aさんが笑ってもせいぜい1円、Bさんが怒ってもやっぱり1円、機嫌なんてたまたま湧いてきた雲みたいなもんだから一円玉がころがってる程度にすぎない。
もしAさんBさんのなにを気にかければいいか?といえば、せめてもの「AさんがAさんらしく、BさんがBさんらしく、生きられるといいね」と思うぐらいだ。でもきっと、そんなの私が思わなくても、だれもが自力でそうなれる能力を備えている。私は、それを信頼すればいいだけだ。
というようなことを、今夜Zoomで参加した「こうやってビリーフをリセットできる!zoom無料セミナー&説明会」を見ていて、ああそうだなあとあらためて感じた。
自分はたったの「1」だけど、そう、去年「ビリーフリセット・リーダーズ講座」5期で「1」なりに心の学びをやって、「1」は「1」でいいんだとじんわりわかってきた。
一円玉は千円札に負けてるか? うん、負けてる。
一円玉は一万円札にかなわねえか? うん、かなわん。
でも、一円玉がしあわせになれる方法はある。
それは「いつか千円札になろう。いつか一万円札になろう」と思わないことである。おまい、それムリじゃんw
しかし「自分は一円玉に生まれついたんだな、吹けば飛ぶようなアルミ玉や」ってガックリしてあきらめられたら、一円玉としてしあわせになれるはずだ。