パートを辞めたので、そうだ、これからはずっと一日中自由のはずなんだが、なかなかめまいや微熱が収まらなくてすっきりしない。
ここらへんがババアたるゆえんだね。しかもふつうのひとたちよりも老化が早くて難儀する。
ただし、同じ年代の知り合いがいないので、じゃあだれと比べているかというと母ちゃんだなあ。母ちゃんが七十代のころ、ちょっと同居していたが、身体も元気だしアタマもすごくしっかりしていた。七十超えても電車一駅ぐらいは平気で歩いていた。
父が脳梗塞になったとき、母も体調をくずして、以降歩くのはおとろえて杖をつくようになったが、記憶力はビクともしなかった。
もうヘルパーさんとか入ってもらったけど、なんだっけ、ケアマネさんとかいろいろウチにやって来ても、名まえも顔も一発で覚えよる。だれが何日何曜日何時に来るとかたいてい覚えてしまう。私はだれひとりまったく覚えられなかった。
母ちゃんは、夜寝るまえに必ず本を読んでいた。ミステリーが好きで松本清張とかすごくたくさん知っていた。私にも「これがいい」と勧めてくれて、せっかくだからふとんに入ってから読んでみるが、もうそのころから私はもの忘れが出ていて、内容がちっとも把握できない。
私も、とくに小学生のときは童話を読んで楽しかったんだけどね。あと、二十代後半に心理学の本をちょこちょこ読んだかね。でも、三十すぎて山登りをはじめてからは地図とガイドブックしか見なくなった。
そうこうしているうちに、ああ、もう本は読めないなと気づいた。本というのは、ある程度記憶力がないと読めないものだ。読んだところで片っぱしから忘れていくと、なんのことだかさっぱりわからなくなる。しょうがないからはじめに戻って読み直すけれど、また忘れていく。ちっともおもしろくない。
さて、母に勧められた松本清張の文庫本も、毎晩読んではぜんぶ忘れる。夜になってしおりのつづきを読んでもなんにも覚えていない。しゃーないから1ページ目に戻って読み返す。次の夜、またみごとに忘れている。読み返す→翌日忘れるの繰り返しで、さすがに苦痛でやめてしまった。
ところが、母はちゃんと覚えているのだ。朝ごはんのとき、私が「昨日の本はおもしろかった?」と尋ねると、「うん、よかったよ」と言うなり、あらすじをぜんぶ説明してくれる。ときどき「『とぐろ巻いてらあ』ってセリフがおもしろくてー」とか、一部を丸々覚えていたりする。登場人物の名まえまで教えてくれる。
そういえば、母は固有名詞をよく覚えていて、地名やひとの名まえはそのままゴロッと丸暗記していた。私が小学1~2年のとき、いっしょに学校へ行っていた子どもの名まえもフルネームで、かつ漢字まで覚えていた。
私「T君っていたね。お母さんは教育ママだったね。いまどうしてるかな」
母「あの子ね、……下の名まえ×××だよ。漢字はちょっとむずかしいから覚えている。〇〇だ。ほら検索して」
私は、よう覚えとんなと感心しながら、その名まえをスマホで調べた。なるほど、むずかしい漢字の名まえなのですぐにヒットした。T君の仕事もわかった。
「あのお母さんは、ソレじゃアレだね」と母ちゃんがうれしそうな声を出した。ソレもアレも、私にはなんのことかすぐわかった。検索でわかるほどぱりっとした職業なのに、母にとっては「ソレじゃアレ」になってしまう。
もう半世紀も前のハナシなのに、まだT君のお母さんに負けたくなくて、「ソレじゃアレ」と鼻で笑っている。
そうそう、ここいらなんだよね、たぶん。私の仕事がうまくいかなかった理由は。
私のパートなんてT君どころじゃなくて、「ソレじゃアレ」にすらまったく引っかからない最低賃金の仕事ばかりだ。そもそも、母は私に「どんな仕事をしているか?」という質問をいちどもしなかった。なんの興味もないから「尋ねる」ことも思い浮かばないのだ。
母の「アレ」の土俵にも上がれないってことが、仕事をぜんぜんやりたくないというのにつながっていたんだろう。そんな仕事、かりにデキたとしても、母にはなにも関係ないからね。
けれども、母が見栄を張りたい気もちはすごくよくわかる。なぜなら、私も見栄を張りたい一心で生きてきたから。
私も、だれかに「すごい」と言われたくて、ほんまそれだけが目的でムダに過ごしてきたよ。
ねえ、母ちゃんは「すごいお母さんだ」って言われたかったんだよねえ。
うん、すごいよ。
そのとき私は「よくT君の名まえを覚えていたね。すごいねー」といつものように母ちゃんをホメた。
母ちゃんはやっぱりいつものように、たいしてうれしそうじゃなかった。
母ちゃんは、べつに娘にホメられたいんじゃないから。
母ちゃんがホメてほしかったのは、母ちゃんの実母だったから。
私は、会ったこともないばあちゃん(母の実母)って、まあ子どもに興味がなかったんだよねと思う。こんなにアタマのいい子なのに、それにはさっぱり気がつかなかった。で、子どもが6才のときにヨソのおっさんと駆け落ちしてもうた。
なので、結局母ちゃんは、とうとう実母から「すごい」と言われずじまいだった。すると「他人に『すごい』」と言ってもらいたくなるのだ。
さて、私も母ちゃんに「すごい」と言われたことがないので、「他人に『すごい』」と言ってもらいたかった。
う~ん、いったい「すごい」を欲しがりつづけて、私も母ちゃんもなにをしとるんだろうねえ?
もう何年も母には会っていないけど、母のことは「すごいひとだったな」と思っている。えらいよねえ。あんな生い立ちだったのに、ちゃんと自分の長所を伸ばして一所懸命生きてきたよね。
だから、私も「なにか」を育ててみようと思うよ。記憶はさっぱりあかんけど、べつのなにかがあるだろうから。
もう「すごいと言われたい」というむなしくてしんどい目標はなくなったから、まあのんびりぼちぼちと。