昨日の記事「縁もゆかりもない私がココに住んでいてよろしいですか?」に対して、堀江さなえさん(ビリーフリセット認定カウンセラー)が秀逸なコメントをくださった。
「みんな地球から生まれてるんだからいいのよ」
わっはっは!
だよねえ。
みんな出どころは地球だし、どこ住むにしても地球だし、好き勝手に根をおろしちゃってべつにかまわないんだよねえ。
う~ん、私はまたうっかり他人を気にしちゃった。
いま住んでいるところが広大な田んぼや畑が広がり、人家のあるところは細っこい道がうねうね通っていて、どこも外壁なんかなくて開け放した縁側が丸見えの古い家ばかりだ。
同じ苗字の家が何軒もある。みんな親戚だったり知り合いだったりにちがいない。ああ、なんか気後れする。
なーんて思っていたけど、そっかー、地球かー。みんな地球人だから、こんにちは、よろしくでかまわないんだな。
私は、とうとう一生のあいだ、まともに人並みに働くことができなくて、それもなんだか自分が出来そこないのように思えてならなかったけど、まあそんなふうにしか生きられなくても、この地球にいてかまわないか。
スーパーやコンビニのレジは若いひとが多い。もうキビキビとアルバイトをしている彼らを見ていると、そっかー、私はこの子たちが払う年金保険料のおかげで来年から年金もらえるんだなあ、いやいや、すいません、ごめんなさいなんて思ったりしたが、「地球単位」で考えると、まあそのぐらいは許容範囲内かね。
「働けないということは → 役立たず、社会のお荷物、しかたなしに養ってもらう」と思ってしまいそうで、なんとなく肩身が狭かったけれども、そんなふうに考えることは、いま現在働いているひとたちを信頼していないことにもなる。
だって、みんな無理強いされて働いているわけじゃないもんね。自分の意志で「働く」と決めて、その仕事に熟達してちゃんと誇りを持っている。妹なんかそういうふうにずっと働いており、仕事もそのための勉強も楽しくてしかたがないと言っている。
妹「私にとって仕事は呼吸みたいなもので一心同体よ。おねえはね、いや~よくがんばりました! 〇!」
なので、そこにはある種の余裕が感じられる。その余裕でもって、うん、働けないひとはそれでいいよ、ちゃんと生きていけるよと言ってもらえるのが「地球」なんだなあ。
根本裕幸さんがときどき、「世間はやさしいんだよ。思っているよりずっとやさしい」と言っておられた。
うん、そう、それって「地球はやさしい」んだよね。
なんの役にも立たないのに、毎日私は「ドレミファ|ソファミレ」ばかり弾いているが、地球という星は、日がな一日そんなんやってる生きものを大目に見てくれるやさしさを持っているんだ。