「働くと → チャリーンとゼニがもらえる」しくみを、私はなぜ理解できないのか?

4月にパートを辞めた。

そうなんだよ、あまりにも働くのがイヤで、体調も悪くなってすぐさま辞めたのだ。

来年の春には年金を繰り上げ受給する予定で、ええとさ、つまりもっとゼニ勘定とか一所懸命やったほうがいいはずだけど、そういうの、デキないんだよね。

たまたま根本裕幸さんの「お金」関連心理学セミナーをYouTubeで見ていたら、視聴者さんが「資産運用とかぜんぜんアタマに入らないんです」とチャットしていて、そしたら根本さんが「ああ、僕もそうです。要するにまったく興味がないんです」と答えていた。


そう! まさにそうだよね、私も「興味なし!」なんだよね。お金全般、なんにも考えられねーんだよ。この動画もとちゅうで見るのやめたわ。

あ、私はかつて、根本さんのセミナーはじかによく受けていたからちょっと知っているが、根本さんご自身はビジネスにとても興味があって、かつ成功されておられる。もちろんカウンセラーとしても超絶有能でいらして、さらにベストセラー作家でもあり、加えてビジネスの才能もあるから、おこがましいけど、とても堅実に成功しているとお見受けする。

そんな根本さんでも、そうか、資産運用はアタマに入らないんだねえ。

私はといえば、そもそも「お金のしくみ」がさっぱりわからない。「自分の労働を提供すると → お金がもらえる」というシステムが、まったく腑に落ちないのだ。


で、根本さんがつねづね言っておられて、また動画でも話していたのが、「お金や仕事に対する考えというのは、やっぱり親に由来するんです」。

う~ん、そういえば、ウチの親がしょっちゅう憮然と話していたことがあってねえ。

それは「お金持ちは働かないんだよ。働いているってことは貧乏人なんだよ」ということばだ。

これ、子どものころからよく聞いていた。

なにかの折に「仕事」だの「働く」だのという話題になると、「そんなつまらないこと、考えるのもムダ」といった雰囲気になり、最後に父も母も「だいたい金持ちは働かないんだよ」とふたりで頷き合っていた。


父ちゃんも母ちゃんも極貧の育ちなのに、どういうわけかそういう価値観をふたりそろって共有していた。

小さいころ、私がうっかりモノの値段を訊いたりすると、母に「子どもはお金の話をしたらダメ。はしたない」と叱られた。

つまり、どうも「働くこと」はさげすまれていたし、「お金」ははしたないんだよなあ。

あらためて思ったのだが、「金持ちは働かない」といつも断言する親も変わっとるな。働いている金持ちもおるやん。

なんだけど、私はその妙な考えに同調してしまって、とうとう働くのをやめるにいたった。


しかしいま現在、働いていないからといって「貧乏になる」とも思っていない。そういう考えになじめない。

そこはホレ、親が「金持ち=働かない=それがあるべき姿」という等式を植え付けてくれたもんだから、べつに悠々としているのだ。「働かないと → 貧乏になる」という回路が存在しない。

だからきっと、将来本当にお金に困る状況になったとしても、「貧乏」という実感がちっとも湧かなくて、なんとなく「それがどうした?」ってぼーっとしているような気がする。過去、ほんとにお金がない時期もあったよ。でも、それほど困ったとは思わなかったんだよね。

それが幸か不幸か不明だが、いま私のアタマを占めているのは「ピアノ」(大半)と「ウォーキング」(拡張中)であり、それ以外なんにも考えられない。


今日ピアノのレッスンで、先生からまたしても「観察できていませんね。右手のフォームがココとココとココでくずれている」とご指摘を受けた。

自分では観察しているつもりだったのに! でも見えていない! 「見たつもり」になって見逃している!

とまあ、こういうのは「非常に困ること」で真剣になんとかしようと切羽詰まっている。

ウォーキングの上限がたった20分というのも大問題だ。これも1分でも多く増やしたい。

そう、なにがなんでも増やしたいのは、小銭じゃなくてウォーキングの時間だよねえ。

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