あえてまた「働きたくねーんじゃ!」と絶叫してみる

昨日のブログ記事「『働くと → チャリーンとゼニがもらえる』しくみを、私はなぜ理解できないのか?」に対して、ビリーフリセット認定カウンセラーさんや受講生さんからいくつかコメントをいただいた。

そしたら、やっぱり「働きたい」とか「稼ぎたい」「チャリーンはよく響く」というかたがたがおられた。

そうだよね、ふつうそういうひとのほうが多いよねえ。

そういうひとと私は、いったいなにがちがうのだろうか?


ええと、直接すごくよく話を聞けたのは、まず自分の妹で、彼女はずーっと仕事が好きなんだよね。

じゃあ、もし10億円あったらどうする?って私が尋ねたら、
「はは、それだったら働かなくてもすむけど、いやちょっと待って。やっぱりだれかを助けたいから働くわ」とあわてて返事があった。

その「だれかを助けたい」っていうのは、ほんと「やむにやまれぬ衝動」みたいな感じで、私はほう!と感心したよ。

彼女はむかしから「すごく助けたいひと」で、前にも記事(妹のまわりに現われる奇妙なかたがた|「打ち明け話をする男性たち、倒れ込んでくるひとたち」)にしたけど、そういうひとの周りには、ちゃんと「助けが欲しいひとたち」が転がり込んでくるらしい。


で、昨日コメントをいただいたカウンセラーさんや受講生さんのことをつらつら考えてみたら、そうだねえ、「働きたい、稼ぎたい」というひとって、「自分の持っている価値を提供して、それと引き換えにお金をいただく」というしくみをちゃんと理解しておられるんだね。

けれども、私は「だれかを助けたい」なんてタダの一度も思ったことがないし、「価値提供して → お金をいただく」考えもぜんぜんピンと来ない。

わっかんねーよ。それってなんなん?

とかホザいていると、たぶん「子どもすぎる」とか「未熟」とか、つまり「そういう人間ってよくないだろ?」みたいな石が飛んできそうに思うけど。


そうだなあ、やっぱり少しは罪悪感があるよ。

でも「働きたいと思わない」というのは、すっごく正直な実感なんだよね。

ほんま、ぜんっぜん働きたくない。

1日24時間、1年365日、晴れ晴れと自由の身でいたい。

好きなことだけして暮らしたい。のんびりぶらぶらしていたい。

でもまあ、そんなに叫ばなくても、むかしは55才から年金もらえていたのにね。


そういう法律のもとだったら「すいません、申し訳ない」なんて言い訳する必要もなく、堂々と55才から働かなくて済んだのに。あたしゃもう59才だよ。ふう。

年金を繰り上げ受給できる60才まで、あと1年近く「いや、すいません、働かなくてごめんなさい」ってヘコヘコしつづけるのだろうか。

世の中、アーリーリタイアするひともいるのに、なぜ私は「石が飛んでくるかも」ってビクビクしているのだろうか。

それはもしかすると、「なにかを出したいから」かもしれない。

その「出したモン」がゼニになることが、ほんのわずか臭っているからかもしれない。


なんか臭せえかも。そりゃめったに風呂入らんし。

うん、でも当分、ピアノとウォーキングが最優先ですぜ、ダンナ。

かつて山登りでメラメラ燃やしていた炎をそっちに延焼させたいんじゃ!

うぉりゃあっ! ゼニにならんでなにが悪い?! 遭難の1回2回ぐれえなんやっちゅーねん?!

どうぞご自由に石投げてください。

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