親がかしこくて、さらに運がいいと、ろくすっぽ働かずに生きられる

「あたしゃしあわせモンだねえ」という文字と、「老婆」のイラスト 超絶ショボい仕事

いちおう「働く」ってのを、18才から59才までやってたつもりだ。

とちゅう、引きこもりとか親の介護とかでブランクあるけど。

それで、いまもまだ、「残念だったなあ」と思うことは、結局、仕事を通して「なにひとつ、習熟できるようになったコトが、ない」ということだ。

仕事のうち、いっちゃん大量にやったのは、「宛名書き」と「ゴム印押し」だ。

高校を出たあと、勤めた会社で、そういう雑用をずっとやっていた。




けれども、いま思えば、そんな単純作業で給料をもらえるんだから、ありがたいのはありがたい。初任給、覚えているよ。73,000円だった。

あちゃー、いくらなんでももらいすぎだろっw ぺったんぺったんゴム印押して、ちまちま宛名書いて、切手貼って、ノリで封して、73,000円って、ありえへん高給やわ。

まあ、運がよかったんだよね。昭和56年の就職って、たまたまユルユルで、同期で入った女のコ、30人はおったかな。すげえ大量採用してた時期。

むかしの女のコの仕事って、そんな感じかねえ。

そうそう、営業のおっちゃんとか、電話で「ああ、ほんなら、ウチの女のコに、いまからその書類届けさせますよってに」とか言うてて、そんなお使いもしていた。

入社してから1年間は、高校の制服を着て、会社へ行く決まりだった。そいで、集団出勤する。主要な駅で、同期のコと待ち合わせて、みんなそろって出勤する。帰りも、みんないっしょに退出する。

1年たったら、私服とお化粧が解禁になる。ついこないだまで、高校生の延長みたいだった同期のコが、急におとなっぽく「おねーさん」になっていく。

そのころはまだ、「女はクリスマスケーキ」の時代だったから、ほんまに25才までには「おねーさん」たちは、つぎつぎ寿退社していった。

私のような「賞味期限切れのおばはん」はごくわずかで、そんなのは、クビにするわけにもいかないし、会社のお荷物になり、やがては「姥捨て山」部署に異動させられた。




その会社を、私は40代前半に辞めた。

理由は、「行きたくなくなった」からだ。まあ、飽きたんだな。

入社してからずっとおんなじような雑用で、ああ、もうやりたくないなと思った。

「つまらないことを延々やらされる」のが「仕事」なんだろうけど、宛名とゴム印は、だいぶんうんざりしていた。

その仕事のおかげで、たしかに住所にはくわしくなったよ。関西の地名は、わりと覚えられた。

でも、そのぐらいなんだよね、その会社で学んだことって。

じゃあ、そんなに文句言ってるなら、ちゃんと勉強できる働きかたをすりゃええのに、その後も、あっちこっちパートを転々として、どこでも使いモンにならないし、そのうちクビにもなるし。

そしたら、「居心地がよかったのは、どこ?」っちゅーたら、結局、いっちゃんさいしょの会社だった。

「女のコやおばはんは、日がな一日ぺったんぺったんでよろしい」なんて会社は、やっぱり古臭い会社だから、女性なんか当てにしていない。

だから、べつにコキ使われないんだよね。無難な雑用しかやらせない。

そんな古めかしい会社の片隅で、ゴキブリみたいにキラわれつつ、しぶとく生き残るのも、まあ、安泰なのである。




たぶん、ウチの親は、私の本性をちゃーんと見抜いており、「こやつは、どうせ仕事も結婚もできねえんだから、とりあえずこの会社に放り込んどいたらええ」と判断したのだ。

いま現在、その考えかたは、「おう、なかなかスゴいやないか。子どもの向き不向きを、ようわかっとるわ」と感心している。

以前は、あんなに「親が、大学行かせてくれなかった」と、これまた文句タラタラの私だったが、いまは変わったんだよ。

私は、「努力」とか「一所懸命」とか「つづける」とかが、超苦手で、まあ、そういう人間は、「クビにしづらい会社」で養ってもらうのが、いっちゃん向いている。

なので、「ああ、親って、子どものずーっと将来まで、よくわかってるもんだねえ。あのまま、あの会社で、定年まで勤めるってのもアリだったよ」と思ったりする。

しかし、じっさいには辞めてしまった。

そしたら、「不幸一直線」かといえば、そうでもなかった。

そんなに根詰めて働いていないので、まず時間の余裕がある。「北海道80日間放浪」とか、ふらふら行ったりしている。





もうちっとゼニに困ったほうが、下流老人らしいのに、本人はきわめて鈍感である。

なんで、おねえは、お金ないのに悠々してるの?

なんで、T子ちゃんは給料いいのに、切羽詰まってんの?
あ、ヒモさんがね、おるからねえ……

ヒモのイラスト

ヒモ

学歴がなくて、正社員を辞めちまったら、非正規を転々が当たり前らしいが、たしかにその通り、パートを転々しているけど、ころがったさきには、もう年金が見えてきた。

来年春、60才になったら「年金繰り上げ受給」させてもらう。

私は、ぺったんぺったんの厚生年金期間が長めなので、まあまあの額なのだ。

けど、ぺったんぺったんしてただけで、「年金あげます」って、なんかオカしくないか?




そうなんだよねえ。

自分で、「なにひとつ、習熟できたモンなし」なのに、こういうオチになっちゃうって、まあ、運がいいというか、親の見通しがスゴかったというか。

おかげさまで、いまは、ピアノがおもくそ楽しいわ。

そのピアノだって、ウチの親が習わせたんだよね。

私がまだ、母ちゃんの腹ン中にいるころ、父ちゃんといっしょに、「生まれた子が女のコだったら、ピアノ習わせよう」と話していたという。

その話は、むかしよく聞いたよ。

ふうん、そうなんだって、そのときはなにも思っていなかったけど。

でも、いまはちがう。

ほ~ら、親ってすげえじゃん!
子どものしあわせを、世界一よくわかってるじゃん!

私はいま、あのふたりの子どもでよかったと、しみじみ思うよ。

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