引っ越し直後は、てんやわんやでバテバテ
新居に引っ越した直後は、「ああ、これでもう、不用品廃棄や引っ越し準備をしなくていい」、ふう、やれやれという気分だった。
古い家電(冷蔵庫、洗濯機、洗濯乾燥機)の処分は、自治体へ電話で予約して、別途処分券の購入など、ひとつひとつめんどくさい。
しかも、べつべつの日に回収へ来たりする。
大型ゴミの廃棄は、所定の日に、自分で、所定の場所まで運ぶ。
そのころは、クルマを持っていなかったので、自分で運ぶのにとても苦労した。
折りたたみベッドがかなり重くて、それをヤケクソ気味に引きずり、ぜえぜえあえいでいたら、若いおにーさんが、とちゅうから手伝ってくれた。やさしいのう。
いま思えば、これだけ処分品があったら、どこか業者に頼んで、ぜんぶ任せたらよかった。
あと、段ボールへの箱詰めも、たった12箱なのに、疲れ果てた。
そんなこんなで、念願の引っ越しを終えたあとは、体力気力ともにゼロ。
翌日は、市役所へ転入届も出さないといけない。
大雨のなか、ヘロヘロで向かった。
ほう、理想どおりに仕上がったね
その後、一週間のうちに、新しい家具や家電も、つぎつぎ搬入されてきた。
あらかじめ、自分が立てたプランのとおりに、家具類を設置していく。
それらは、カーテンや壁紙と、驚くほどマッチした。
まるで、ジグソーパズルのピースが、自動的にピタピタとあてはまるかのように、小気味よく完成していく。
「これはデキすぎだな」というのが実感で、落ち着かないほどだった。
南向きのベランダからは、ある山の頂上がよく見えた。
むかし何度も登った低山で、その広大な頂上では、みんながそこかしこで、のんびり寝そべっていた。
引っ越し直後は、山の春はまだ浅く、ベランダから見える頂きは、枯草色だった。
そのベージュのてっぺんが、薄緑になり、やがて濃い緑色におおわれるころには、私も新しい部屋にすっかりなじんでいた。
「モノ」は、手に入ると、魅力が失せてくる?
半年ほどたつと、ソコに住んでいるのが、けっこう当たり前になってしまった。
リフォーム計画を立てていたときの高揚感なんて、すっかりなくなった。
そもそも私は、「手に入ってしまう」と、とたんに興味が失せる。
それまで、アレにしようか、コレにしようかと、選んでいるときは、ひじょうに熱心なのだが、いざ手元に来てしまったら、「あ、そう」となる。
これは「モノ」に関してだけ、生じる現象である。
当時はまだ、ハイキングをやっていたが、山に登って「あ、そう」とは、けっしてならない。
どんな山であっても、何度おなじ山を登っても、そのときどきに得られる感動は、いつもすばらしい。
しかも、そのたびに「新しい魅力」を見せてもらえる。至福のよろこびを味わえる。
だけどねえ、「モノ」はそうじゃないよね。
なかなかそこまで、「つねに魅力を増していくモノ」って、ちょっと出会えない。
「永遠に感動できるモノ」とは?
唐突に思い出したのは、佐藤嘉市(さとう かいち)のこと。
佐藤嘉市とは、長野県堀金小学校の校長先生。1877年(明治10年)生まれ。
常念岳(じょうねんだけ/標高2,857m)は、北アルプスの名山のひとつ。
出典 明治時代/信仰の山から美の山に|安曇野市ゆかりの先人たち
端正でうつくしい山容を誇り、その姿を仰ぎ見ると、だれもが、佐藤嘉市の「常念を見よ」ということばに、うなずきたくなる。
でさあ。
べつに常念岳のふもとまで出かけなくっても、まあ、ベランダから見えるホニャララ山だって、じゅうぶんうつくしいのよ。
ふと目を上げて、山の稜線をたどるとき、山が好きなひとなら、胸に迫ってくる感慨があるじゃない?
しかし、「モノ」では、そういう感動が持続しないねえ。
なんか、ちがいすぎる。
なんか、だんだん褪せてくる。
あんなにショールームを駆けずり回って、それなりに「理想の小部屋」を作り上げたはずなのに。