昨日は、午後3時ごろに、まずうどんを食べたので、お利口だと思います。
べつに「食欲がない」というのではなく、単に「食べるのがめんどくさい」。
むかしから、「食べる作業がメンドーだ。錠剤1個で済むようにしてくれ」と思っていた。
まあ、なにかしら「食べる準備をする」のが、メンドーなんだよね。
なので、入院したときとか、上げ膳据え膳で、そうだ、それはまったくもってOKなんだよ。
だいぶん前、いっとき教会へ行ってたころ、Aさん(推定60代)という女性がいた。
Aさんには、引きこもりの息子さんがいた。
息子さん、なかなかの強者で、中学生だったかね? そのぐらいから不登校になって、ずーっとそのままで、丸っきり家からぜんぜん出ないうちに、もう40才越えたらしい。
お母さんのAさんとは、ひと言もしゃべらないそうだ。
で、三度の食事は、息子さんの部屋の前に、Aさんがお膳を運んで置いておく。
息子さんは、Aさんの姿が見えなくなると、お膳を部屋に入れて食べる。
食べ終わったら、お膳を部屋の外に出す。Aさんが、そっと回収する。
というのが、30年ほどつづいているそうだ。
その話聞いたとき、めっちゃうらやましかったわ。
息子さんに、「ちょっと、1ヵ月だけ交代してくれへん?」って頼みたかったわ。
いつだったか、Aさんが私に、「だってねえ、人並みのしあわせを味わったらいいのに。結婚とか仕事とか」なんて、ため息をつく。
え? いまのほうがエエんちゃいます?
いまがしあわせだから、そうなんちゃいます?
働かんでエエし、ウザい嫁もおらんし、パラダイスや思いますけど。
一種の「低値安定」かもしれんけど、何十年もそれでイケてるんだったら、やっぱり居心地がいいんだと思う。
ってのは、私もおんなじで、「食いモン用意のめんどくささ」を、どうしても克服できずに、もうじき60才だよ。ふう。
で、いま「低値安定って、漢字合ってるかな?」って検索したら、春日武彦(精神科医/作家)が出てきた。
人間というのは不幸慣れしてくるから、今の状況を変えるために奮起して行動するのは、実にめんどくさい作業なんです。
低値安定の「安定」の部分を解体して、不安定にしてから組み立て直して、高値安定にもっていくというのが人生をやり直す建設的な方法なんですよね。
ただ、低値安定を崩した後の「不安定さ」に絶えられない人が大半です。
おう、やっぱり春日さんはいいなあ。
で、↑「不安定さ」ということばに、ん?ってなったのよ。
私は、いままさに「不安定」っぽくて。
それでしんどくて。
「不安定にしてから組み立て直して」 → というのも、そうそうってうなづける。
いままで、汚部屋でそれなりに安定していたのに、わざわざ「1000個捨てチャレンジ」なんてやっちゃって。
そしたら、スッキリしたのはほんの一時的で、あとは、こんなにどよ~んとしんどい。
あ、でも、この「不安定さ」は「正しい反応」でもあるんだなあ。
ということは、じゃあ、「しばらくシンボウしなはれ」ってことか。
「低値安定を崩した後の『不安定さ』に絶えられない人が大半」というのに、超ビビるけど。
いまの、この「寄る辺なさ」をどうすればいいのか?
このぽっかり空いた「穴」を、どうやって埋めたらいい?
う~ん、よくわからなくて不気味だが、とりあえず、これからの段取りとして、
・スマホ乗り換えを完了させる。
・片付けは中断、発表会のあとに再開。
・ごはん、週1回外食にする。
・他のことは、バッサリ切り捨てる。すみません。
こんな感じ。
指の具合は、どんどんよくなってきた。
こないだのレッスンで、ツェルニーのとき、大変化があって、それを機会に好転した。
すごいな。
そう、それをブログに書きたいのに、しんどくて書けない。
いろいろ崩したあとは、やっぱりしんどい。
べつに、変わらなくてもいいと思うけど。
あのう、Aさんと息子さん、そのまんまでいいよねえ。
と、ずっと思っていたのだが、う~ん、私はいま、なぜか勝手に、ちょっと「おとな」になりたい? なった? なれそう?