私は「アイアン」が好きだ。
鉄ね。
鉄のアイアンね。
インテリアとして、あの黒々としたアイアンが好きなのだ。
木とアイアンの組み合わせ、いいねえ。
▼こういうのとか。
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▼ちょっとしたラックでも、アイアンだとおしゃれ。
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「黒」、いいなあ。
引き締まっていて、問答無用で。
という思いがつのってきて、アタマを「真っ黒」に染めることにした。
「黒々」としたくなったのだ。
カラスのように、黒猫のように、真っ黒になりたい。
めったに染めないから、いま、白髪ボーボー。
これまでテキトーな色で染めてきた。
色、こだわるほうなのに、まあ、毛染め屋のスタッフさんに、勧められるがまま、ええと、グレージュとかかね。
でもねえ、ずっとミョーな気分だったのよ。
中途半端な不良みたいなアタマでさあ。
染め終わったあと、どうも納得できなかった。
これでいいとは、一度も思わなかった。
で、今日は、カラスになる気満々で、毛染め屋へ行った。
スタッフさん「『黒』ですか?」と、ちょっと引っかかりのある返事だった。
「はい、そうです。真っ黒にしてください」
「黒にすると、あとでもう、ほかの色に染められなくなりますよ。
それでも、いいですか?」
なにを小癪な。
「はいっ、いいですっ! 『黒』にしたくて来ました! お願いします!」
ぜんぶ終わって、鏡を見たら、……おう、理想の私になったよ。
そうそう、こういう「漆黒」を欲していたのだ。
重苦しくて、執念深そうな「黒」が、いまの私にぴったりじゃん。
これが、いっちゃん私らしいねえ、と見とれてしまった。
自分の髪の毛に、これほど満足したのって、生まれてはじめてだ。
なので、これまで感じていた「違和感」は、やっぱり真っ当な反応だったんだよ。
けどさ、むかしはこういう真っ黒だったよ。
ついうっかり、「世間一般」に流されて、不良になってたよ。
ああ、やっと足を洗えた、とホッとして、帰りのクルマのなかでは、またアマゾンオーディブルで、「吾輩は猫である」を聴く。
スマホに「オーディブル」のアプリを入れておくと、クラウドで同期してくれる。
だから、ウチのパソコンで聴いていた続きを、スマホで聴けるのだ。
全14作品│再生時間130時間46分
聴くなり、また笑いが込み上げてくる。
いかん、おもしろすぎる。
運転危ない。
ウィキペディアに載っていたが、「吾輩は猫である」には、古典落語のパロディが幾つか見られるらしい。
たしかに落語のようなノリが満ちていて、そんなに大した出来事も起きないのに、ささいなことで吹き出してしまう。
寒月君なんて、名まえが出てくるだけで、思わず声立てて笑ってしまう。
しかし、これねえ、ナレーターがうますぎるんだよね。
モーツァルトソナタだってさ、はじめて聞くのに、ヘタクソがつっかえつっかえ弾いてるのを聞いたらさ、べつにいい曲だなんて思わない。
けど、それこそ名ピアニストが弾いたら、モーツァルト、すっげえじゃん! なんでこんなにきれいなの?!って感激するわけで。
それとおんなじで、自分が、本で「吾輩は猫である」を、もっちゃもっちゃ読んでも、「落語のノリ」なんて、ぜったいわからない。
だって、このナレーター/渡辺知明さん、ほんと鳥肌立つほど、朗読すごくて!
とくに、会話が、唖然とするほどみごとで、聴きなおしたくてクルマ停めたくなるほど。
▼主人公の猫と、ガールフレンドの三毛子との会話
「あら御主人だって、妙なのね。御師匠さんだわ。二絃琴の御師匠さんよ」
「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれ昔しは立派な方なんでしょうな」
「ええ」
君を待つ間の姫小松……………
障子の内で御師匠さんが二絃琴を弾き出す。
「いい声でしょう」と三毛子は自慢する。
出典 吾輩は猫である│夏目漱石│青空文庫
「御師匠さん」ということば、文字で読めば、ふつう「おししょうさん」だと思ってしまう。
しかし、朗読では、まったくちがう。
「おっっしょさん」なのだ。
江戸弁の勢いに乗った、歯切れのいい「おっっしょさん」を聞いて、はあ、そういうことばなんだと、殴られたような衝撃を受けた。
つまり、「自分で、本を読む」って、まるで外国人が、たどたどしく字面を追っているかのようだったと、はじめて気がついた。
自分では読んだような気になっていたけど、いやあ、その作品の「良さ」なんて、なにもわかっていなかったねえ。
だから、ちっともおもしろくないんだよ。
ちょうど「我流でピアノを弾く」というのと、丸っきりおんなじ。
いちおう楽譜どおりに音は出せていても、プロの演奏とは、ぜんぜんちがう曲に聞こえてしまう。
アレといっしょ。
というのが、小説でわかるなんて、ああ、もう、びっくりした。
ナレーター/渡辺知明さんは、本もいくつか出版している。
いやあ、ここまですごいんだったら、学校で、プロのナレーションを聞かせてあげたらいいのに。
あのさ、国語の授業で、教科書を細切れに、ひとりずつボソボソ読んでいくって、あれ、なんなん?
あれで、なにがどうなん?って、思ってしまったよ。
で、朗読がすごいと、文豪のすごさもヒシヒシ。
だけど、アタマんなかが、すっかり「明治時代」になってしまった。
たった数時間で「洗脳」されちまったよ。
上の会話であった「二絃琴(にげんきん)」も、朗読では、なんの楽器かわからなくて、あとで調べたり、YouTube聴いたりして、ああ、のちに大正琴になったのかとか。
いやいや、いま二絃琴なんて聴いてる場合じゃねーよっ!
ちょっと夏目漱石ヤバすぎ。真っ青。
あやうく「明治時代の音」まで、洗脳されるとこだった。
あのう、ピアノの発表会が終わるまで、凍結しとく。

