毎年12月になると、決まってだれもが「もう12月」と言うわけで。
私もやっぱり、もう12月かと思うものの、一概に「早い」とは感じない。
なんか、わぁ~っと「祭り」があると、「時間の経過」がひずむんだよね。
たとえば、直近だと、アマゾンオーディブルにハマッちゃって、夏目漱石じゃー、川端康成じゃーとか「祭り」になった。
そのあいだ、まあ、ピアノも2時間40分/日弾いていたから、ピアノには支障ない。
はずなのに、1週間ぶりのレッスンが、1ヵ月ぶりとしか思えなかった。
ほんと、そういう実感でとまどった。
ピアノのレッスンそのものも、つねに「震源地」になっていて、毎週「祭り」なんだけど、べつの「祭り」が挟まると、ちょっと遠のいている。
なにか夢中になるモノがあると、そのあいだの時間経過は、ふつうよりも長く感じる。
私にとって「濃厚な時間」は、うれしいことに「ゆっくり経過」してくれるのだ。
それは、山登りにどハマりしていたときも、おんなじだった。
たとえ一日だけのハイキングでも、計画を立て、朝早く起き、予定通り電車を乗り継ぎ、バスに乗り、登山口を探し当て、ガイドブック通りに各地点を通過して、ようやく山頂に到着、のんびり休憩したのち下山、たいがいバス便が少ないので、苦労しつつ、うまくいけば近くの温泉に入り、また電車を乗り継いで帰宅する。
それ、ものすごく長くて、しかも満足度がきわめて高い。
夜ふとんに入ってからも、あの急登がすげえ楽しかった、あそこであんなに眺望がよかった、あっちでは鳥が鳴いていた、滝がきれいだった、林道をぼーっと歩いたとか、丹念に思い出して、しあわせを噛みしめる。
山にどっぷり浸かっていたころは、年々「幸福感」が増大していった。
なのに、ふと山ヤでいられなくなったんだよねえ。
「ぴ」が気になったんだよ。
いまごろ、どうして「ぴ」なんだよう?
よくわかんないけど、ウロたえているうちに、心理学セミナーとかに迷い込んで、しまいに根本裕幸さんの個人カウンセリング受けて、「あのう、ピアノのレッスン、再開するかどうか、どうしましょう?」とか相談していた。
いまから7年ほど前だね。
そのときはね、「山か、ピアノか」の二択問題になってて、う~ん、やっぱり山にしときます、という結論を自分で出した。
当時(2014~2015年)のデジタル日記を読んでいると、おもしろいことに、そのころ「やってみたい」と思っていたことは、かなり実現している。
・北海道放浪したい → 2018年に行った
・ピアノのレッスン受けたい → 2019年から再開
根本さんに「したいことをしましょう。それだけです」って言われたけど、おまい、やり過ぎじゃん?
資金源は、ネット稼ぎが大きい。
ただし、グランドピアノのために、持ちマンションは売却して、いまは音出し可賃貸マンションに住んでいる。
うわっ、いろんな「祭り」を開催してきたもんだねえ。
むかし山は、延べ600山は登ったし、もう、これだけやりたい放題やったら、いつお迎えが来ても、だいじょうぶだね。
「お金と時間」で計ると、「山」がケタ外れに大きい。
ほんと、ケタが1ケタちがっていて、どんだけピアノに費やしても、山を越えるのはムリだね。
だけど、いま現在、山に登る気はゼロ。
ないよ。
そりゃ、片腕1本なくなるとか、ピアノが弾けない事情になったら、山を再考するかもしれん。
もう、山は「保険」みたいなもんに成り下がったんだよ。
いまは、ピアノ一択。
それで結局、7年前から「祭り」が多すぎて、時間過ぎるの、めっちゃ遅くなっとるのう。
ええことだす。