やっと体調が回復してきた。
なんかずいぶん長くしんどかったけど、抜けてみたら、「ちょっとちがうところ」にあっけなく出られた。
どうして不調におちいったのか?
なぜそこから這い出せたのか?
その理由はわからんけど、いまはただ、さぁて、ピアノ弾こう、とやる気満々だ。
ああ、完全に「山」が脱落しましたのう。
まあ、ええのよ。
山は山で、いちおう登り尽くした。
北は礼文島から、南は屋久島まで、おおよそ全国踏んで回ったよ。
ハイキングをはじめて、じきに日本百名山をめざし、すぐに日本三百名山に転向。
でも、日本三百名山は完登できず。たぶん270山ちょっとでケツ割った。
いちど遭難事故をやったから、以来腰が引けて、三百名山完登のこだわりもなくなった。
低山でのひなたぼっこも、まあいいかなって、隠居気分になった。
ところが、ピアノのほうは、輝きがいや増しに増していく。
ここまでおもしろくなるとは、まったく予想していなかった。
レッスンを再開する前、たしかに「ピアノをやり残して未練がある」という気もちは強かった。
子どものときに習っていたけど、13才の冬にやめてしまったからね。
私は、ピアノをやめたいと思ったことは、いちどもなかったけど、親がやめさせた。
なので、「あのつづきをやりたい。あの先になにがあるか、知りたい」と、ずっと思っていた。
ピアノのレッスンは、2019年4月(57才)に再開した。
44年ぶりのレッスンだった。
で、いまで2年8ヵ月経ったけど、いやあ、「つづき」じゃなかったよ。
ほんと、「13才のつづき」じゃない。
まったくちがう。別物。
なんなら、「ピアノ」という楽器そのものまで、ちがうんじゃない?というほど、丸っきりちがう。
それは、「先生がちがう」からだよねえ。
こんなにも、音楽のすばらしさや醍醐味を教えてもらえるんだったら、13才のとき、やめたのが大正解だよ。
いま、親に感謝してるよ。
「あのとき、やめさせてくれて、ありがとう」と言いたい。
子どものころ、何人かの先生に習ったけど、どなたも「音楽に物語がある」とは教えてくれなかった。
「語るように弾く」先生もおられなかった。
「弾きかた」や「練習のしかた」も、とうとう習わずじまいだった。
親なんて、結局ほんとは、すごく深い部分で「子どものしあわせ」をよく知っているんだね。
私が欲しいモノを、よくわかっていたんだ。
唐突に思い出したけど、母には、かつて妹がいた。私の叔母さんにあたるひと。
昭和19年(1944年)に生まれて、その翌年、空襲で死んでしまった。
まだ赤ちゃんだった。
その子は、もしかしたら音楽が好きだったんじゃないかな。
そんな気がする。
私がピアノを弾くと、その子がよろこぶような気がする。
それもあって、ピアノを弾きたい。