「自分が楽しければいい。他人は知らんわ」という生きかたのツケが回ってきた

「だれのために草刈りしてるの?」という文字と、「鎌を持つ女性」のイラスト 音楽

アタマん中が、ピアノでわぁーっと沸騰している。

といっても、老体がついて行かぬわ。

ツェルニーをちょっとがんばったら、小指の付け根が痛くなった。

あきらめて、バッハに逃げたら、こっちは手にも耳にもやさしい。

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バッハ:フランス組曲第4番エール、ほんとは速い曲だけど、とろとろマイペースで弾いていると、しあわせですのう。

三輪車ぐらいのテンポだったら、難所も暗譜して弾けるようになった。

▼掛け合いとか二重唱がうっとりきれいな難所

バッハ:フランス組曲第4番 エール│10-16小節

バッハ:フランス組曲第4番 エール│10-16小節

ほかの部分も、マダラ暗譜できてきたので、次の次のレッスンには暗譜で持っていけそう。

暗譜も、だんだん慣れるねえ。




まだ本番では、うんと準備しないと危険だが、ふだんウチで練習している分には、少しずつ暗譜が早くなってきた。

私の暗譜は、基本的に「ドレミの羅列を丸覚え」だ。

ピアノを再開したばかりのころは、暗譜のとき、「ドレミ」に加えて「指使い」を覚えるのに難儀した。

インベンションとか、音よりも「指番号」を覚えられなくて、いっつもアタマのなかで「5、2、1、3、5、4、2、5」って号令かけていた。

いまは、自分用の指使いを振るようになって、それを手になじませたら、そこまで「番号暗記」に苦労していない。

といっても、暗譜はじきに消滅する。




今日、発表会で弾いたモーツァルトソナタを、ちょっと試しに弾いてみたら、あらら、2小節目でもう忘れて止まってしまった。

発表会が終わり、10日間弾かなかったら、ああ、もう忘れたんだねえ。

クッキー有効期限10日かよっ?! (違)

これは、しかたのないことだ。

これこそ老化だよ。

老化で記憶力がおとろえるのは、ごく自然なことだ。

それより、短期的でもある程度暗譜ができるようになったから、まあ、いいか。




バッハのフランス組曲も、これまでずいぶんたくさん練習してきて、暗譜したのもあったのに、ぜんぶ雲散霧消。

いま、ゆっくりでも暗譜で弾ける曲は、ひとつもない。

おう、きれいさっぱり消えちまったなあ。

こういうの、ちょっと前まで、つまんないなあと思っていたけど、このごろは、あ、これが「いまの私」なんだなと納得できるようになった。

記憶も体力も関節痛も、「以前の自分」とくらべてどーのこーのをやらなくなってきた。

「過去-いま-未来」が、同時にあるんじゃなくて、ま、とりあえず「いま」しか生きられないから、それじゃ「いま」だけ。

とりあえず「目の前の草」を抜いてみる。




それにしても、発表会では、若いひとたちの伸びが驚異的だった。

例によって例のごとく、発表会のプログラムを、前回と前々回の分も持って行って、うわっ、2年前にツェルニー弾いていたあの子が、もうこんな大曲を!とか、ひそかに興奮していた。

いや、ほんと、すごいねえ。

それに、顔つきや表情まで、まったく変わっちゃって。

あっという間にオトナになってしまって、演奏も立ち居振る舞いも別人のよう。

私なんて、なにごとにも本気で取り組まなかったから、コドモ→(大人になれない)コドモ→即老人という人生だった。

オトナ抜きで、いきなり老人。

もうすぐ年金受給者。




まあ、年金生活はあこがれだったから、それで正解っちゃー正解だけど、すっかり大人びたこどもたちを見ていたら、若干わびしくもある。

しまったなあ。もう少し、なにかちゃんとやっておけばよかった。

私の人生で、終始変わらず不動だったのは「ぜんぜん働きたくない」ということだった。

これだけは、だれにも負けず、微動だにせず、「いや、まったく仕事しとない。1分たりともイヤじゃ!」と連呼しつづけてきた。

働くことから逃げまくってきたが、最後の「あがり」が「年金の繰り上げ受給」で、え? そういうスゴロクでええのん?!と、本人がいっちゃんびっくり。

しかし結局、イヤなことから逃げて、やりたいことしかやらない、ってのをずーっとやってると、ああ、オトナにはなれないんだなあ。

いまは、ピアノを弾くのが楽しいけれど、これも単に好きだから、好き勝手にやってるだけで、「顔つきが変わるほど」なにか鍛錬しているわけじゃない。

長年「山」がおもしろかったが、それが「ピアノ」に転じただけ。




その「自分勝手さ」は、うすうすわかっていたから、ピアノの先生が、発表会前に言われたことばがコタえている。

「これまでは、ずっと『自分のため』にピアノを弾いてきたでしょう?
でも、そろそろ『お客さんのため』に弾くことも考えましょう」

自分が楽しいだけじゃアレなんだなあ。

そういうのは、やっぱり聞いているひとにわかっちゃうんだね。

じゃあ、なんだろう、「聞き手によろこんでもらえる演奏」とか、考えないといけないのだろうか?

ああ、そうだよね。

いつも弾くのにせいいっぱいとか、自分だけ楽しければよろしいとか、そりゃちょっとちがうよな。

というわけで、なかなか「むずかしい草」も生えてきているのだ。

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