サ高住の食堂で、母ちゃんと昼食を食べるときの事件。
先に席に着いていた母ちゃんが、呆然自失となっていた。
まるで奈落の底に突き落とされたかのような表情に、私は思わず息を呑んだ。
一瞬、脳に異変があったのではないか?と疑った。
それほどに、異様な形相を浮かべていた。
「どうしたの? だいじょうぶ?」と尋ねると、
「バカだ。バカだった」と、母ちゃんはウワゴトのようにつぶやいている。
「どうしたの?」
すると、母ちゃんは「これを入れてしまった。バカだ」と、いまにも泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにゆがめた。
「はあ?」
私は、すぐに事態を飲みこめなかった。
え? なに? ざるそばのこと?
母ちゃんはかすれた声で「これをつゆに入れてしまった」という。
……ああ、麺をほぐすための「ほぐし水」を「つゆ」に入れたのか。
元画像の出典 石臼挽き蕎麦粉のざるそば│セブン-イレブン
なるほど、その「ほぐし水」は麺にかけてほぐすものなのに、うっかり「つゆ」に入れちゃったわけだ。
でも、そ、それぐらいのことで、こんなに絶望すんのっ?!
とりあえず私は「すぐに新しいのを買ってくるから、ちょっと待ってて」と言って、コンビニへ買いに行った。
そのすがら、私は、いま見た光景にとても興奮していた。
そうか、そうなのか!
母ちゃんって、ほぐし水をつゆに入れただけで、地獄に突き落とされたように感じるのか!
たったそれっぽっちのミスで、立ち直れないほど、母ちゃんは「弱いヒト」だったんだ!
それほどに「弱いヒト」だからこそ、子どもが自分の思うとおりに動かないことに耐えられなかったんだ。
そして、子どものミスを許せないというよりも、そもそも「自分のミスを許せない」のだ。
どんなささいなことでも、「こうあるべき」からハズれたら、もう取り返しがつかないのだ。
なるほど、なるほど。
と、私は、はじめて「母のほんとうの姿」を見た思いがした。
急いで、新しいざるそばを買ってきて、こんどは私が小袋も開封して、すぐに食べられるように用意した。
しかし、まあ予測していたとおり、母ちゃんのキゲンはまったく直らない。
「いらんカネ使って」といって、とちゅうで箸を放り投げたり、「ココのごはんがマズいからだ」「〇〇(入居者)がヘンな顔する」「××(スタッフ)のあいさつがなってない」等々、延々とグチがつづく。
むかしからグチはすごかったが、いったんはじまると、長時間つぎからつぎへとグチがつづく。
1回こっそり測ったことがあるけど、1日合計7時間を超えていた。
そりゃもうなかなか、そんだけピアノ練習したらずいぶんウマくなるのう。
てか、いま思うと「聞く人間がおるから、グチをこぼす」んだよね。
私が、子どものときから「グチ聞き役」を買って出ていたから、「グチ最強マシーン」が出来ちゃったんだよ。
で、その日一日、母ちゃんは「ほぐし水入れまちがい」から立ち直れず、グチや文句をこぼすだけで終わってしまった。
私はといえば、思いがけず「母の弱さ」をはじめて悟った。
それほどまでに「ストレスに弱いヒト」ならば、母ちゃんの人生を振り返ると、そりゃまあ、タイヘンだったろうね、とよくわかった。
そう、だから、7年前のあの日、私は「母ちゃんは『ほぐし水入れまちがい』ですら、深刻な一大事で立ち直れないほど『弱いヒト』」と認識したのだ。
しかしねえ。
話は、2月15日のピアノレッスンに戻る。
私は、モーツァルトソナタの出だしがふにゃっとなったあと、結局立ち直れず、そのあと一曲まるまる表面的に流して弾いてしまった。
弾き終わったあと、先生から「いったいどうしたんですか?」と尋ねられた。
帰りのクルマのなかでも、なんで逃げてしまったのかなあと自問自答していた。
そうしたら、ふいに7年前の「ざるそば事件」を思い出したのだ。
ああっ、もしかして、あの呆然自失で打ちひしがれていたのは「私」じゃないだろうか?!
あれは母ちゃんじゃない。
あれは、ほんとは「私の姿」じゃないか?!
※その3につづく。