小学4年生から働いたあげく、お金をすべて奪われて│叔父さん夫婦との再会│その4(最終回)

日々のあれこれ

私は、叔父さんにいろいろ聞きたいことがあった。

そのひとつに、叔父さんが子どものころ、どんな苦労をしたのか?ということだった。

それは、むかしから、母が叔父さん(母の義理の弟)のことを、かわいそうがって、私によく話していたからだ。

そもそも、叔父さんのお父さん、てか、それは私の母のお父さんでもあって、つまり私のお祖父さんなのだが、そのひとが「ちゃんと働かないヒト」だった。

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しかし、母が小さかったころ、そのお父さんは腕のいいセールスマンで、たぶん歩合給だったらしく、羽振りがよかったという。

叔父さん「むかしは、お父さん、ボストンバッグ2つにギッシリお金入っていた、いうて聞いてたけどな」

その後、お父さんはセールスやってた会社を辞めて、自分で商売して、一旗揚げようと目論んだ。

しかし、その商売がことごとくウマくいかず、けれども何度失敗しても一獲千金を狙いつづけ、家族全員が貧乏のどん底に追いやられてしまった。

その話を、私は母から何百回も聞かされていたが、叔父さんの悲惨な実態は、じつのところ、母も知らなかったとわかる。

叔父さんはぽつりぽつりと話した。

「僕は、小学4年から新聞配達しとったよ。

いまは、そんなんあかんやろな。

でも、ウチにお金ないから、働いた。

働いて、そのお金はぜんぶお母さんに渡した。

お母さんは『私はいらん。でも、ありがとう。預かっておいたげる』言うて、通帳に貯めてた」




叔父さんには、3歳年上のお兄さんがいた。

「兄貴は、小学生のときはオール5やったけど、中学入ってから悪い遊び覚えて。

僕は、小学4年から中学3年まで、ずっと新聞配達してた。

中学になってからは、朝2回配達して、しまいには大卒初任給よりようけ稼いだ」

「でもな、その通帳に貯めてたカネ、兄貴がぜんぶ盗ってしもうたんや。

たぶん遊びたかったんやろ。まあ、カネ欲しかったんや。

でも、もう兄貴のことは信用できひんようになった」

そんなことは……まったく知らなかった。

叔父さんは、ついでのように、付け加えるように、こう言って笑った。

「けど、お義姉ちゃんは、私立高校出てるよな。

あれ? お嬢様やん、あれ?って、思たわ」

お義姉ちゃんとは、私の母のことだ。

おそらく、見栄っ張りのお父さん(私の祖父)が、まだお金に少し余裕があって、母を私立女子高校に進学させたのだ。




だのに、叔父さんは小学4年からずっと新聞配達をして、中学3年のときに母を亡くし、その後、お兄さんに貯金をすべて盗られてしまったなんて!

私は、ことばを失った。

そんな境遇だったというのに、叔父さんは、だれも恨んでいないのだ。

だからこそ、私たち姉妹が放ったらかしにしていた母の面倒を、きちんとみてくれたのだ。

叔父さん夫婦には、子どもが4人もいた。

叔母さんは「むかしは、自転車5人乗りしてたんよ。前にふたり、後ろにふたり」と言って笑っていた。

そして、いまは孫が8人いる。

そういう人生を築いてきたひとに、私ははじめて会った。

もちろん叔父さんは、私になにも言わなかったけれども、

「じゃあ、あんたはどう生きるの?」と、だれかから問われているような気がした。

●本日のネットビジネス準備:1時間59分
●本日のピアノ練習:2時間30分

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