母ちゃんは、まだまだ元気だ。
89歳で、足は相当弱っているらしいが……
弾丸トークは、ほぼ衰えていない。
さすがに、往事のような金切り声とか怒鳴り声はムリそうだが。
それでも、いやいや、私は圧倒的に負けている。
ついていけない。
●5月3日 7年ぶりに私が電話をした。通話時間│1時間08分
●5月5日 通話時間│1時間25分
●5月7日 通話時間│2時間21分
●5月9日 通話時間│1時間38分
基本的に、私は「傾聴」していて、必要最低限しか話していない。
てか、どうしても尋ねたいこと、たとえば、内科クリニックへの通院頻度とか訊きたくても、もはや訊くスキがない。
だもんで、↑この通話時間のあいだ、ずーーーっと母ちゃんがしゃべりっぱなし。
そりゃまあ、積もる話があるのはわかるけど、疲れへん?
「母ちゃん、だいじょうぶ?
こないだ2時間半近く話して、あとしんどくなかった?」
「ううん、ぜんぜん」
えーっ?! アレで疲れへんの?
私は物理的にも限界、スマホを持つ手を左、右、左、右と入れ替えても、手首が痛くてたまらず、そのあとピアノの練習ができなかった。
母も、ずーっと固定電話の受話器を持っているはずなんだが、アレ、かなり重いよな?
で、どの電話も、まだまだ母が話したがっているのを、いい加減とちゅうでキリをつけて切らせてもらっている。
あたしゃ、疲労困憊だ。
しかし、会話、いや会話になってないか、話の内容は従来通りの母で、状況説明もわかりやすい。
私はしゃべりがヘタクソで、よく相手に「それで、何が言いたいの?」とか「その話はどこにつながるの?」などと、さえぎられることがある。
けど、そんな私のしゃべりより、母のほうが話がウマい。いまでも。
だから、話を一方的にされても、話し方が上手だからそんなに苦にならないのだが、いやあ、長すぎっ!
で、つくづく思ったのだが、このヒト、パワーありすぎ。
しかも、その全パワーを子どもにぶつけてくる。
だからこそ、私はずっとしんどかったんだなあ。
そして、母が求めているモノはたったひとつ。
それは「やさしいお母さん」。
これも揺るぎなく変わらない。
うん、じゃあ、私が「やさしいお母さん」になるよ、ほんとうに。
でも、時間限定だよ。
そう、私は、いまなら「やさしいお母さん」役をこなせそうだ。
なぜなら、さすがの母も89歳で、むかしよりは「要求水準」が下がりつつあるからだ。
自分のからだが衰えてきているので、「だれかのしんどさ」というのが、ようやくわかるみたいだ。
なので、私が「しんどいから、ちょっと手加減して」と頼めば、ある程度妥協してもらえそうだ。
とりあえず、電話の時間を、もうちっと減らしてほしいのう。