年寄りの長話│果たしてそれは相手の問題? 自分の問題?

日々のあれこれ

目下の悩みは「母との会話時間」。

ええと、長いんです。

まだ母と会うまでは、ほぼ毎日電話でやりとりしていたが、アレは通話時間がわかるでしょ?

母はしゃべるのが大好きだから、「3時間以上」でやっと満足するという。

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私はといえば、できれば簡潔に「30分以内」が助かる。

とくに電話は顔も見えないし、あたしゃ疲れたわ~

さて、いまはすでに同居して2ヵ月。

う~ん、やっぱりおしゃべりは長い。




食事のときに話すのは当たり前だが、そのあともずーっとしゃべっていたいらしく、どうかするとやっぱり「合計3時間超」は出現する。

ただし、母ばかりがしゃべっているんじゃない。

私もけっこう話している。

そして母は、とくだん「傾聴」なんぞ知ってるワケでもないのに、ちゃんと「相手の話に耳を傾けるスベ」を知っているのだ。

だから、私がしゃべっていても心地いいので、ついつい私も話し過ぎてしまう。

このヒト、傾聴もカウンセリングもまったく知らないのに、なんで「聞き上手」なんだろ?

と、そのあたりを探ってみたら、どうやら母は、子ども時代継母に育てられたので、そういう気遣いがデキるようになったらしい。

母は、小学校低学年から継母に接することになったが、その継母に気に入られるために、継母の話をとても注意深く「聴く」ようにしていたという。

そして、自分が話す内容も、継母が気に入る話題になるように気を遣った。




たとえば、小学校であらたに転校生が来たときなど、母は、ウチに帰って継母に、

「今日は、転校生が来たよ。

その子の名まえが『楠(くすのき)』さんだったよ」と話す。

「楠」という名字は、継母の旧姓だった。

そういう話をすれば、もしかすると継母がよろこんでくれるかもしれないと、そういう一心で、母は義理のお母さんにあれこれ気遣いをしてきたのだ。

そんな話、ああ、せつないよねえ。

まだ小学生だというのに、実のお母さんは家出しちゃって、でも2番目のお母さんに気に入られようと、オトナ並みの高度な会話を心掛けていたんだよね。

結果的に、母はきわめて優秀な「聞き上手」になったものの、他人にはまったくホンネを言えなくなった。

「いいヒト」を演じつづけるしんどい人生になってしまったのだ。

で、母がゆいいつホンネを話せるのは、じつは「私だけ」。




だから、話が長くなるのよねえ。

てな具合で、母はまだまだ「積もる話」を延々と話したいし、前に話したことも延々リフレインしたいし、話しているときは「寂しさ」を感じないで済むしで、しゃべりが尽きないのである。

と、まるで「話の長い母が悪い」みたいになっちまったが、いけねえ、問題なのは「私」だね。

私自身が、まだまだ「いいコドモ」を演じたいモンだから、ガマンして母の話を聞いちゃうんだよね。

逆に、私がしゃべっているときは、母に甘えているわけだし。

そうそう、いくら同居しているからといっても、やっぱり母と「適切な距離」を取らんとな。

母の望む「ぴったり密着した距離」も、ときには必要。

でも、ずーっとソコに居つづけるのではなく、意識して「ココロの距離」を「私が」取れるようにしないと、おたがい窮屈に感じてしまう。

そこらへんをなんとかして、「長時間会話」を改善しようと思っちょります。

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