このところ、成り行き上、延々と「母の話を聴く」という沼にハマッている。
ヘトヘトになってしんどいんだが、「母の真意」がわかって、長年のナゾが解けたり、腑に落ちたりという収穫もある。
たとえば「子どものしあわせ」というテーマ。
母にとって「子どものしあわせ」ってのは、たったひとつだけ。
「女の子は、いいダンナさんと結婚して、子どもを産んで、家庭を守ること」だけが、しあわせになる道だという。
ソレ聞いたとき、あたしゃ、このヒトがなに言ってんだか、さっぱりわからんかったわ。
けれどもねえ、90のばあちゃんでしょ?
昭和ヒトけた生まれだったら、まあ、そういう価値観が当たり前か。
で、母の話をよくよく聴くと、
「春ちゃんも、T子ちゃんも、そうならなかったから、だから、私はずーっとがっかりしているの」
はああ、そうだったのか!
私としては、余生を過ごす身となった母に、できるだけ晴れ晴れとしてほしい。
その対策のひとつとして、サ高住を退所して在宅介護に切り替えた。
それで、ある程度は母の幸福度は上がったものの、なかなかねえ、楽しそうじゃないのよね。
母の気分が晴れない理由はいくつかある。
・お金がない。
・老いて身体が不自由になる一方。
・新居を好きになれない。
・次女(私の妹)から連絡がない。
・そもそも生い立ちが不幸で苦労しすぎた。
・戦争で死にかけた。
・ダンナが嫌いだった。
・姑、小姑にいじめられた。
だいたいここらへんの理由について、まんべんなく嘆いている。
だが、本日はあらたに「子どもがしあわせじゃない」という理由も加わった。
母「だって、春ちゃんはいちども結婚しなかったし、そんな不幸になっちゃうなんて」
はああ? 私が不幸ですとっ?!
私「いや、いっつも楽しいけど。
むかしは山登り三昧で、ここしばらくはピアノ弾いて、すんごく楽しいよ」
母「でもねえ、やっぱり女の子は結婚して家庭を持って、そうじゃないと寂しい人生だよ」
ああ、そうなんだ。
「母から見た私」は、しあわせになれなかった寂しい女性なんだねえ。
ときおり母は、次女(私の妹)が離婚したことも憂いている。
母「どうして離婚しちゃったんだろうねえ。
春ちゃん、なんか聞いてる?」
「まあねえ、夫婦のことはわからんけど」
「あのまま結婚つづけて、子どもができて、そうなって欲しかったんだけどねえ」
ふう。
妹が離婚したのなんか、何十年もむかしのことなんだが。
う~ん、「そのヒトが育った時代の価値観」って、相当強力に影響を及ぼすモンだねえ。
私は母にこう尋ねた。
「もし、子どもふたりが人生をやり直すとしたら、どうなって欲しいの?」
「もちろん、ふたりともいいダンナさんと結婚して欲しいよ。それだけだよ。
でも、だれもその夢をかなえてくれなかったから、すごくがっかりしてるの」
「じゃあ、もし子どもが結婚せずに、たとえば仕事をしたいとか言い出したら?」
「そりゃ反対するよ。
それは子どもにとって不幸になるんだから、ちゃんと結婚するように言い聞かせるよ」
なるほどねえ、そこまでしっかりと「女性のしあわせ → 結婚」という考えが堅いんだね。
そっかー、だから「子どもがふたりとも不幸だ」と思い込んでいて、晴れ晴れできないんだ。
ってな理由が判明して、すいません、私はけっこうスッキリしたよ。
「母の幸福度」というのは、じつは「自分以外の要因」に左右されがちなのだ。
子どもが結婚するかどうかって、母の意志だけで実現させるのは、なかなかむずかしい。
しかも、子どももトシを取ってしまって、もはや母の望む「しあわせそうな家庭」を、私も妹も作ってあげることが不可能だ。
「ごめんね、結婚もできなくて、孫も見せてあげられなくて」
「ううん、しかたないよ」
そう言って、母は寂しそうにうつむいた。